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こんにちは!テノール歌手の髙梨英次郎です。
本日もオペラを成り立ちからあらすじまで、解説して参ります。
オペラって面白いですよ!
今回は、ピエトロ・マスカーニ作曲オペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」を取り上げます。
19世紀、1800年代末のイタリアで、文学界から発展した「ヴェリズモ主義」と呼ばれるブームが起こりました。
”ヴェリズモ”を日本語に直訳すると真実主義。英語だとリアリズムですね。
そのオペラ版、ヴェリズモ・オペラの先駆けとなった作品がこの「カヴァレリア・ルスティカーナ」です。
ヴェリズモ・オペラの特徴は、一言でいうと”生々しさ”。
それまでのオペラ、特にシリアスな作品は、ギリシア神話から始まり、貴族や王族たちの恋愛や親子関係のドラマ、政治上の対立、戦争など、壮大なスケールで描かれるのが常でした。
一方、一般の民衆しか登場しないオペラはほぼ喜劇オペラのみでした。
ところが少しずつ、一般の民衆による悲劇のドラマ、シリアスな物語も作り出されていきます。
その代表となったのが、1875年に初演されたビゼーの「カルメン」。
そして「カルメン」から15年後に発表されたこの「カヴァレリア・ルスティカーナ」が、イタリアで爆発的人気を博すことになったのです。
この「カヴァレリア」は、南イタリアのシチリアが舞台となっています。
日本でいうと沖縄を扱ったのと似ているでしょうか。
同じイタリアでありながら、どこか異文化の香りも漂うシチリア。
当時のイタリアの人々からしても、興味深いドラマ設定であったようです。
ところでこのタイトル、長いカタカナで初見だと覚えづらいと思うのですが、直訳するとイタリア語で「田舎の騎士道」です。
訳されても何のことなのかイマイチわからないですよね。
内容やストーリーをご説明していく中でタイトルの意味にも触れていきます。
どうぞ最後までお付き合いいただければ幸いです。
激しい感情と美しい旋律が聴く者の心を揺さぶってやまない、作曲家マスカーニ最大のヒット作。
まずは簡単にマスカーニのそこまでの生い立ちと共に、初演までの経緯をお話して参ります。
ピエトロ・マスカーニはトスカーナ州の海沿いの街リヴォルノで1863年12月に生まれました。
実家はパン屋だったそうです。
幼い頃から音楽的才能を持ったマスカーニは、トスカーナの故郷を出て、ミラノ音楽院に入学します。
音楽院には先輩として、5つ年上のプッチーニもいました。
プッチーニとマスカーニは一時、他の仲間と共に同居していたことがあり、この時のことがプッチーニのオペラ「ラ・ボエーム」に反映されている、と言われています。
マスカーニは地道な勉強が肌に合わなかったのか、ミラノ音楽院を中退してしまいます。
その後オペレッタ専門の旅一座に入って指揮者となり、オペラの作曲もしたようですが、こちらは破棄されてしまいました。
そんな折の1888年、マスカーニ24歳の時、彼はある雑誌に掲載されていたコンクールの情報に目を止めます。
それは、1幕物のオペラを課題とした作曲コンクールでした。
ソンツォーニョという出版社が企画したこのコンクール、その優勝賞金は若いマスカーニにとって年収としても良いくらいの額。
もちろん応募することを決めたマスカーニ。
台本は、故郷リヴォルノの友人で詩人のタルジョーニ=トッツェッティという人に頼むことにしました。
当初は別の作品で話が進んでいたところ、タルジョーニ=トッツェッティはミラノである芝居を観て非常に感銘を受けます。
そしてマスカーニに、「こっちの方がいい題材だよ!」と手紙を書くのですが、その劇作品はマスカーニも4年ほど前に観ていました。
そのお芝居が、「カヴァレリア・ルスティカーナ」だったのです。
ヴェルガという人が書いた小説をもとにした演劇で、このヴェルガがイタリアにおけるヴェリズモ(リアリズム)文学の代表的作家の1人でした。
タルジョーニ・トッツェッティは、若い詩人メナーシの協力を得て、台本を完成させます。
すぐに作曲に取り掛かるマスカーニ。締め切りまであと5ヶ月というところでした。
オペラは無事に完成し、コンクールに提出され、第一次審査を通過して、本選へと進みました。
本選は、劇場にオペラ公演として公開される形となっています。
その初演は1890年5月17日、ローマのコスタンツィ劇場で行われました。マスカーニ26歳。
主役を歌ったのは経験豊かなテノールと新進気鋭のソプラノの夫婦で、それもあって公演は大成功!
会場は割れんばかりの大喝采となり、当然、コンクールは審査員全会一致により、マスカーニが優勝することとなったのでした。
その後マスカーニは様々な作品を発表して、当時のイタリアを代表する作曲家となっていくのですが、20世紀の半ばに入ると、台頭してきたファシズムに肩入れしてしまいます。
ムッソリーニ率いるファシズム政党がイタリアで頭角を現していった時代となったのです。
そこに肩入れしてしまったせいで指揮者トスカニーニなどの音楽家たちにボイコットされたりなどして、1945年8月に寂しくこの世を去っていきました。享年81。
現在ではもちろん名誉も回復し、その作品の数々が世界中で上演されていますが、やはり圧倒的にこの「カヴァレリア・ルスティカーナ」がその上演数を誇っています。
それではここから、オペラの内容に移って参ります。
カヴァレリア・ルスティカーナ
全1幕
登場人物
サントゥッツァ:シチリアの若い村娘
トゥリッドゥ:兵隊帰りの村の青年
アルフィオ:馬車屋
ローラ:アルフィオの妻
ルチア:トゥリッドゥの母
舞台となるのはイタリア南部のシチリアのとある村。
キリスト教における復活祭の日、1日のうちに起きる物語を描いています。
静かに前奏曲♪が始まります。
復活祭の朝、太陽が昇り1日が始まるのを表しているかのようです。
復活祭はキリスト教において重要な意味合いを持つ行事です。
十字架にかけられたイエス・キリストが3日目に復活したことを記念するもので、クリスチャンが多い国では、長い冬が終わった春を迎えたころに毎年盛大に祝われています。
動物が冬眠から覚め、植物が芽吹くこの時期がキリストの復活と重ねられ、人々の気分もウキウキとしているこの時期。
そんな時にこの悲劇的なドラマが起きることで、より一層、観る方の気持ちが揺さぶられることになるのです。
前奏曲がある程度盛り上がったところで突然静まり、ハープの伴奏で舞台袖からテノールの歌が聴こえてきます。
主人公の1人トゥリッドゥが、愛する人ローラへ向けての想いを歌っています。
物語の前提をここでお話しておかなくてはなりません。
村の青年トゥリッドゥとローラは愛し合う仲でした。
ところが、トゥリッドゥが兵隊にとられ村を出ていた間にローラは、馬車屋のアルフィオと結婚してしまいました。
馬車屋、と聞くと、馬車を売っているお店の人かな?と思いそうですがそうではなく、地域一帯の運送業を担っている職業であったようです。
この頃の唯一の運送手段である馬車を手掛けているアルフィオは大変お金も儲かっており、いわばそこの村一帯の顔役、ゴッドファーザー的人物であったのではないでしょうか。
そのような人物から結婚を申し込まれ、断らなかった、もしくは断れなかったローラ。
トゥリッドゥがいなくて寂しいし、アルフィオはお金持ちだし…。
そんなところへトゥリッドゥが兵役から無事に戻ってきました。
ですが愛するローラはアルフィオと結婚してしまった…。
当然ショックを受けたトゥリッドゥは、腹いせからか、村の若い娘サントゥッツァを口説きます。
「あたしよりローラの方が好きなんでしょ」
「そんなことないよ、君のほうがきれいだよ」
なんてことで、すっかりトゥリッドゥとサントゥッツァはいい仲になってしまいました。
すると今度はローラがそれを目にして嫉妬に駆られます。
夫のアルフィオは仕事で留守がちなのをいいことに、ローラはかつての恋人トゥリッドゥを誘います。
トゥリッドゥとしてはやはりローラへの想いが断ち切れず、ついにローラと不倫関係を持ってしまいます。
ここまでが、オペラの前提となるストーリーです。
前奏曲の途中で歌われるこのトゥリッドゥのセレナーデは、何度目かはわかりませんが、ローラの家での逢引後、その余韻に浸ったトゥリッドゥが歌っているものと思われます。
この歌だけ、初演からシチリア方言で歌われることがほとんどです。
オペラ全部をシチリア方言にすると、字幕もない当時のイタリア人聴衆には意味が分からなくなってしまうだろうということで、幕が開いてからは標準イタリア語となります。
そして再びオーケストラが前奏曲♪に戻って、ドラマティックに演奏されます。
メロディは、後ほど歌われる、トゥリッドゥとサントゥッツァの激しい二重唱からのものが使われています。
幕が開くと、そこは村の一角。
教会の入り口が舞台の横にあります。
村人たちが春の自然の美しさを歌う、穏やかな合唱♪となります。
この時期の気候が良く気持ちのいい様子が伝わる音楽となっています。
後の激しいドラマとのコントラストとなっている冒頭のシーンです。
村人たちは教会の中へ入っていったりしてその場を去ります。
そこに、村の若い娘サントゥッツァが現れます。
彼女は、そこにいたルチアという女性に尋ねます。
「トゥリッドゥはどこ?」
このルチアという女性は、トゥリッドゥの母親です。
ルチアは、教会の近くで居酒屋を営んでいて、店を開けようと働いているところでした。
「さあね、ワインを仕入れにでも行ってるんじゃない?」
「でも、真夜中にこの村で彼を見たっていう人がいるの」
「何だって?とにかく、うちには帰って来てないよ。」
サントゥッツァは、トゥリッドゥがローラとよりを戻している、という噂を聞いたりしたのでしょう。
トゥリッドゥが自分を捨てるのではないかと気が気でない様子です。
そして彼女は口にします。
「私は破門されているの」
破門、つまりキリスト教の信者でいることが出来ないということです。
日本人の我々からすると宗教を変えれば?と思ったりしますが、キリスト教が日常生活に深く関わる国や地域では、破門されるということは重大な結果を生むことになります。
村八分のように、周りの人々からは白い目で見られ、その後の人生を精神的にかなり苦痛を受けて暮らさなくてはいけなくなってしまうのです。
このシーンでは、ルチアの家に入ることを遠慮する時にこのセリフが出るのですが、彼女は破門されているということを理由に、復活祭のミサが行われている教会にも入ることが出来ません。
ではなぜ彼女は破門されているのでしょう?
原作や台本の言葉をストレートに解釈するなら、サントゥッツァは結婚もしていないのに、トゥリッドゥと男女の関係になってしまったから。
ということになりますが、どうもそれだけではなさそうです。
もちろん、南イタリアはキリスト教に対してかなり信心深い土地柄で、結婚もしていないのにそんな関係になるなんてはしたない!とされた可能性もあるにはあるのですが、のちにサントゥッツァが発する
「Io son dannata!!」
という言葉。
日本語に訳すと「私は呪われている!」
となるのですが、呪われているとかそんなもんじゃないというぐらいこの”dannata”という言葉はネガティブ要素が強い言葉です。
今後の人生に望みが持てないぐらい。
…ということは、サントゥッツァはこの時点で、トゥリッドゥの子供を身籠ってしまっているということが考えられます。
この時代のこの地方でシングルマザーとして生きていくことは、今と比べ物にならないくらい大変な困難を伴うことです。
だからこそ、サントゥッツァはトゥリッドゥと何としても話をしなくてはならないのです。
そこにやって来たのは、馬車屋のアルフィオ。
彼が登場するとともにアルフィオのアリア♪が歌われます。
コーラスを歌う男性たちは、この村のゴッドファーザーたるアルフィオの子分たちでしょうか。
何というか非常に暴力的な、ああこの人にはかなわないかもしれないと思わされる音楽と歌によって、アルフィオのキャラクターが表現されています。
「家ではローラが待っている」
なんて歌っているこのアルフィオが妻ローラの不貞を知ったら、大変なことになりそうです。
アルフィオはルチア母さんに、「ワインはあるかい?」と話しかけます。
「トゥリッドゥが仕入れに行ってるよ」
「あいつなら俺の家の近くで見たぞ?」
「何だって?」
とその時、それ以上何か聞こうとしたルチアをサントゥッツァが「黙ってて!」と、止めます。
トゥリッドゥがローラとチョメチョメしていたことを確信しているサントゥッツァは、そのことをアルフィオに知られないようにしたわけです。
その時、教会から祈りの歌が聞こえてきます。
サントゥッツァとルチアの様子を多少いぶかるアルフィオでしたが、男たちと共にその場を去っていきます。
先ほど述べたように、サントゥッツァは教会の中に入ることはできません。
中から聞こえてくる歌と共に、サントゥッツァは教会の外で、祈りの歌を共に歌います。
周りには教会に入りきらなかった人々なども集まってきて、とても壮大なキリスト教の宗教合唱曲♪となっていきます。
音楽が終わると、サントゥッツァとルチア母さんの二人きりになります。
ルチアは尋ねます。
「なんでさっき、私のことをさえぎったんだい?」
ここからルチアの質問に応えるサントゥッツァのアリア♪となります。
サントゥッツァはルチアに、トゥリッドゥがもともとはローラと愛し合っていたこと、ローラが結婚してしまったのでトゥリッドゥは自分と愛し合うようになったこと、
しかしそれを妬んだローラが自分からトゥリッドゥを奪った!とサントゥッツァは涙ながらに訴えます。
サントゥッツァの訴えを聞かされたルチア母さんは戸惑います。
「よりにもよって復活祭のこの日に、なんて話を聞かされるんだい…。」
ここで、サントゥッツァが先ほども述べた、
「Io son dannata!! 私は呪われているのです!」
と悲痛な叫びを発します。
彼女は教会に入れない自分の代わりに祈ってきて、とルチア母さんに頼んで、トゥリッドゥがやってくるのを待ちます。
やってきたトゥリッドゥ。
ここからドラマティックな二重唱♪となります。
待っていたサントゥッツァは問い詰めます。
「どこに行ってたの?」
「仕入れに行ってたんだよ」
「嘘、あなたをローラの家の近くで見たっていう人がいるのよ、アルフィオさんよ!」
それを聞いたトゥリッドゥは激高します。
「お前、俺を殺したいのか!?」
なぜトゥリッドゥは命の危険を感じているのでしょう?
これは後にわかることですが、シチリアのこの地域にはある掟がありました。
それは、妻を寝取られたなどした、名誉を汚された夫たる男は、その相手である、名誉を汚した相手の男と命を懸けた決闘をしなくてはいけない、というものです。
このように、名誉のために命を懸けることが”田舎の騎士道”、つまりオペラのタイトルであるところの「カヴァレリア・ルスティカーナ」というわけなのです。
「俺のことはほっといてくれ!」
「どうせローラのことが好きなんでしょ!」
「そんなことない!」
「嘘よ!」
「うるせー!俺はお前の奴隷じゃないんだ!」
そんな痴話喧嘩が繰り広げられつつあったところへ、その場にそぐわない鼻歌のようなシンプルな歌と共に、当の人妻ローラがやって来ます。
なんという三角関係でしょう。
ローラはサントゥッツァへ当てつけるかのように、トゥリッドゥと何気ない会話を交わします。
「うちの旦那見かけた?」
「いや」
「あ、そう、なにあんたたち、道端でミサでも開いてるの?ww」
「いや、ちが、サントゥッツァがいきなり話しかけてくるもんだから…。」
しどろもどろなトゥリッドゥでしたが、サントゥッツァはとうとうローラに精いっぱいの皮肉をぶつけます。
「今日は復活祭だから、主はすべてお見通しよローラ」
「あんたはミサに行かないの?サントゥッツァ」
「あそこに入れるのは罪がない人だけだもの」
「あたしは神様にしっかり祈って来るわ」
「あんたはうまくやってるのね、ローラ!」
女性2人の会話に耐え切れなくなったトゥリッドゥは、ローラを連れて教会に入ろうとしますが、サントゥッツァに引き留められ、ローラが1人先に教会に入っていきます。
2人になって、再び痴話げんか再開です。
音楽的にはオペラ全体の山となっているような、序曲のメロディも出てくる、大変ドラマティックで聴きごたえのあるものとなっています。
このようにドラマティックな音楽からしても、サントゥッツァがトゥリッドゥに、単に自分と別れてほしくないと頼んでいるだけとは到底思えません。
そこにはやはり、お腹に子を宿しているという現実を抱えた彼女の、切実たる思いが込められているのは間違いないでしょう。
そしてそのことはうすうすトゥリッドゥも気づいているのではないでしょうか。
迫りくる現実に彼は恐怖しているようにも思えます。
とうとうトゥリッドゥはサントゥッツァを突き飛ばし、教会の中へと入っていきます。
サントゥッツァはトゥリッドゥに呪いの言葉を投げつけて、二重唱が終わります。
そこに、再び馬車屋アルフィオがやって来ます。
サントゥッツァは
「神様が彼をここに遣わしてくれた!」
と、アルフィオに話しかけて二重唱♪となります。
「ローラはトゥリッドゥと入っていきました」
「何だと?」
「ローラはあなたが一生懸命働いている間、家で楽しくふしだらに過ごしていたのよ!」
感情に任せてサントゥッツァはアルフィオに妻の不貞をばらしてしまうのでした…。
それを聞いたアルフィオは当然、怒り心頭!
「あいつら絶対に許さねえ!!復讐してやる!!血を見ないと収まらないぞ!!!」
ヴェルディのオペラかと思うほどにドラマティックな音楽と共にアルフィオは復讐を誓います。
サントゥッツァは何を思うのでしょう…、
「私は恥知らずです!!こんなことをあなたに話してしまって」と繰り返し歌います。
そこには話してしまった後悔があるのでしょうか、それとも、トゥリッドゥに身を預けてしまった自分自身を恥じているのでしょうか…。
音楽がひと段落して、ここでかの有名な「間奏曲」♪が演奏されます。
このオペラの中で最も有名なメロディと音楽であると言えるでしょう、この曲単体で演奏されることもたくさんあります。
この曲だけ聞くと、まさかオペラの話がここまでドロドロしたものとは想像がつかないかもしれません。
あまりに美しい音楽であるので、のちに歌詞がつけられ、マスカーニの「アヴェ・マリア」として歌われることもあります。
夕方の様子を描写したような音楽の後、教会から出てきた人々などによって合唱♪が歌われます。
皆、それぞれの家に帰ろうとしています。
ところがトゥリッドゥは教会の中でローラと共にいられたからか、上機嫌。
教会前の広場で、自分のうちの店からワインを持ち出し、みんなで飲もう!と、陽気な乾杯の歌♪を歌います。
トゥリッドゥは能天気に騒いでいる、かのようですが何やら生き急いでいるようにも感じられる場面です。
トゥリッドゥとローラが元恋人同士だったことは村でみんなが知っていることだったでしょうし、ここでも2人が仲良さそうなのを見て、おや?これは…?と周りの皆は思っていそうです。
そこへ、アルフィオが皆に挨拶しながらやって来ます。
トゥリッドゥは
「あんたも一緒に飲まないか?」とグラスを渡そうとしますが、アルフィオは
「お前のグラスを受け取るわけにはいかない」
と、拒否します。
一気に場の空気が凍り付きます。
周りの人々も、「あ、これヤバいやつだ」とすぐに察するのですね。
やはりトゥリッドゥとローラのことは皆、察していたようです。
ローラの友人など数名が、「ここから離れていた方がいいわ」と、ローラを連れて去っていきます。
そしてトゥリッドゥはとうとう、アルフィオに決闘を挑みます。
その際、トゥリッドゥはシチリアのこの地方のしきたり通り、申し込む相手であるアルフィオの耳を嚙みます。
もちろん甘噛み程度ではない、流血するほどガブリと噛みます。
トゥリッドゥは言います。
「アルフィオさんよ、俺が悪いってことはわかってる。
俺に身を任せたサントゥッツァのためにも、俺はあんたを殺す!」
「好きにすればいい、向こうで待ってるぜ」
と、アルフィオはその場を去ります。
1人残ったトゥリッドゥは、店の中に居た母ルチアを呼びます。
「マンマ!」と呼ぶところから始まる、テノールのアリア♪となります。
「この酒は強いね、ちょっと酔いすぎたみたいだ。
俺は出かけてくるよ。でもその前に、俺を祝福しておくれよ。
兵隊にとられていく前みたいに。
もし俺が戻ってこなかったら、サントゥッツァを頼むよ。
あいつの母親になってやってくれ。
さよなら!!」
そう言ってトゥリッドゥは走り去っていきます。
それを聞いたルチア母さん、不安に駆られます。
サントゥッツァがルチアのもとに駆けつけてきますが、やがて向こうからざわめきが聞こえます。
そして一人の女性が駆け込んできて叫びます!
「トゥリッドゥさんが殺された!!!」
「ぎゃー----!!!!」
と、サントゥッツァやルチアの悲痛な叫びと共に、オペラ全体の幕が下ります。
いかがでしたでしょうか。
複雑な歴史背景や政治状況などはなく、シンプルながらも非常にドラマティックなストーリーと、ダイナミックかつ繊細な音楽で、聴く者観る者を圧倒するこのオペラ。
救いのないお話ではありますが、初演当初から現代に至るまで、人気は途切れることなく上演され続けています。
そして、命のやり取りが繰り広げられることから、シチリアにおけるマフィアのイメージと重なるところもあり、映画「ゴッドファーザー PART3」においては「カヴァレリア」のオペラそのものが劇中で効果的に使われています。
とうのシチリアの人々からすると、マフィアのイメージが着きすぎることは少々迷惑なことのようですが、いずれにしてもシチリアといえばこの作品を思い浮かべるほど、世界的に有名なオペラ作品です。
多くの皆様にオペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」が観て聴かれていくことを願っております。
ありがとうございました。
髙梨英次郎でした。
参考文献(敬称略)
名作オペラブックス「カヴァレリア・ルスティカーナ/道化師」
スタンダード・オペラ鑑賞ブック [1]「イタリア・オペラ 上」
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