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こんにちは!テノール歌手の髙梨英次郎です。
本日もオペラを成り立ちからあらすじまで、解説して参ります。
オペラって面白いですよ!
今回は、ピエトロ・マスカーニ作曲オペラ「友人フリッツ」を取り上げます。
大傑作「カヴァレリア・ルスティカーナ」( https://tenore.onesize.jp/archives/140 ) の後に発表されたマスカーニの公式発表されたオペラでは2作目。
「カヴァレリア」が生々しい悲劇を扱ったものだったので、次回作もそのようなドラマになるか、、、と思いきやその内容は前作と打って変わって、全体的に平和なムードが漂うストーリーの恋愛ドラマでした。
実はヴェルディの「ファルスタッフ」( ① https://tenore.onesize.jp/archives/127 ② https://tenore.onesize.jp/archives/128 )やプッチーニの「ラ・ボエーム」よりも前に、”ドラマティックな音楽で喜劇を作る”ことに挑戦したマスカーニ。
ハッピーエンドで演奏時間もそこまで長くない、非常に聴きやすいオペラだと思います。
それでは、作曲の経緯などについて。
「カヴァレリア・ルスティカーナ」で一躍、人気作曲家の仲間入りを果たしたマスカーニ。
売れっ子となった彼の周囲は突然騒がしくなりました。
マスカーニには、「カヴァレリア」の発表前から結婚をしていた妻がいて、次回作の準備中に子供が出来たこともあり、その頃のマスカーニはどこか穏やかな家庭の静けさを求めていたところがあったようです。
また「カヴァレリア」の評価が、そのストーリーに向けられているウェイトが高く、作曲家マスカーニとしては純粋に自分の音楽を評価してもらいたいという欲求もあったようです。
マスカーニは、あまりドラマティックでないシンプルなストーリーの題材を探します。
そこで見つけたのが、フランスのアルザス地方の作家が書いた小説をもとにした戯曲「L’ami Fritz」(フランス語で友人フリッツ)でした。
この小説は1864年にアルザス地方在住の2人の作家によって書かれたもので、当時のベストセラーとなっており、後の1872年に舞台化されました。
スアルドンという人物がこの戯曲をオペラ用の台本に構成し直して、作品は無事に完成しました。
オペラ「友人フリッツ」の初演は1891年10月31日、ローマのコスタンツィ劇場にて行われました。
マスカーニ27歳。
作品は喝采のうちに迎えられ、成功を収めました。
その後もヨーロッパの各地で演奏されたりして人気となりましたが、現在はあまり上演されなくなってしまいました。
やはりストーリーがあまりにも牧歌的でシンプルすぎる、というのがその理由でしょうか。
ですが、演奏されればその音楽の美しさ、独創性に驚かれること間違いありません。
このオペラはそれまでのフランスやドイツの牧歌的なオペラに影響を受けていて、イタリアオペラの作品においては非常にユニークな音楽が展開されます。
作曲家で指揮者のマーラーもこの作品を気に入り、自身で指揮を振ってハンブルクで上演しています。
ここで物語の舞台であるアルザス地方という場所について少しお話します。
現在はフランスのいち地方であるアルザスですが、ドイツとの国境沿いに面しており、複雑な歴史をたどってきた地域でもあります。
アルザス地方は、もともとは神聖ローマ帝国の中に組み込まれていて、ドイツのゲルマン民族寄りの文化が栄えていました。
キリスト教の宗教改革でも、主都であるストラスブールを中心に、ルター派のプロテスタントが主流となる街国家が多くありました。
ところがフランス国王ルイ14世の時代、17世紀初頭に始まった30年戦争をきっかけにアルザスはフランスの領土となります。
そこからフランス革命やナポレオンの時代などを経てアルザスに住む人々の意識はフランスに帰属していた、ところへ1870年に普仏戦争が勃発してフランスとドイツ国家プロイセンが戦うことになり、フランスが敗北。
アルザスはドイツ国家の一つとして組み込まれることになっていきます。
この状態は1918年まで続きました。
このオペラの原作である小説「友人フリッツ」はフランスの影響下にあった時期のアルザスでベストセラーとなった作品ですが、オペラが初演された頃1891年にはアルザスはドイツの一部でした。
ちなみにその後は再びフランスに戻ったり、その後ナチス政権のドイツによって占領されたりして、第二次大戦後再びフランス国家に組み込まれて現在に至ります。
その複雑な歴史を経たアルザスでは、言語においても文化においてもフランスとドイツのものが入り混じっています。
言語では、独自のアルザス語も伝わっています。
食卓にはワインとビールが同時に並び、料理もフォアグラもあればソーセージもある。
そこに住む人々は自分たちアルザス独自の文化をとても大事にしているそうです。
そんなアルザスが舞台となった「友人フリッツ」
ここから、オペラの内容に移って参ります。
友人フリッツ
全3幕
登場人物
フリッツ・コブス:アルザスの地主で大金持ち
スゼル:フリッツが所有する農場の管理人の娘
ダヴィッド:フリッツの友人で、ラビ(後述)
ベッペ:ジプシー的な境遇の少年、フリッツに救われて以来の友達
フェデリーコ、アネゾー:フリッツの独身仲間
カテリーナ:フリッツ家で働く女中
幕が開く前に前奏曲が演奏されます。
田園や畑ののどかな風景が思い起こされるような、平和な音楽です。
<第1幕>
幕が開くとそこは地主で大金持ちのフリッツの邸宅内。
フリッツが、友人でラビのダヴィッドと会話をしているところから始まります。
さてラビとは。
ユダヤ教における宗教指導者、偉い人のことをラビと呼んでいます。
ユダヤ教の歴史について詳しく知りたい方は検索してお調べいただきたいのですが、このようにラビがオペラに登場することは珍しいことと言えます。
ユダヤ教における聖書、いわゆる旧約聖書の物語を描いたお話、たとえばヴェルディの「ナブッコ」( https://tenore.onesize.jp/archives/86 ) などにおいては、そのようなユダヤの宗教指導者的な役も登場しますが、現代劇として作られたこのような作品においては、こうしたユダヤ教の要素が出てくること自体が珍しいです。
キリスト教とユダヤ教の関係というのは、世界史において非常に重要かつ複雑なものがあります。
キリスト教が基本となっている国や文化でも、旧約聖書の内容は教養として知っている人が多いですし、絶対的な神様の概念は同じ、というかそもそも、キリスト教はユダヤ教をいわばアレンジしたようなところから始まっている宗教です。
ところがキリスト教文化圏の人々はその歴史において、
「イエス・キリストを十字架にかけたのはユダヤ人たちだ!」
という根源的な恨みのような感情があり、西暦の約2000年間その恨みは晴れることなく、ついにはナチス・ドイツの蛮行に至ってしまったという歴史があります。
このオペラに登場するラビのダヴィッド。
現在の時点でオペラの原作である小説を確認してはいないのですが、フリッツはなぜユダヤ教を信じるユダヤ人のダヴィッドとこんなにも仲が良さそうなのか。
現代の感覚であれば、別に信じる宗教が何であろうと友達同士でいることに関係ないじゃん、と思われるかもしれませんが、この小説が発表された1860年頃においてはどうだったでしょうか。
アルザス地方においてユダヤ教徒がはっきりと市民権のようなものを得られたのは、フランス革命がきっかけだったと言われています。
それまでは迫害や差別から、ユダヤ人のコミュニティはかなり限定された地域範囲でしか生きていくことはできなかったようです。
小説が発表された19世紀半ばにおいても、ユダヤ人たちは市民権を得たとはいえ、やはり独特のコミュニティを形成していた(せざるを得なかった)ことは変わらず、そんな彼らと仲良くしているキリスト教徒フリッツは懐が大きい人物であるということでしょうか。
そもそもフリッツはキリスト教徒でしょうか?
一説によると、このオペラや小説自体が、ユダヤ人の共同体を描いたお話である、フリッツも他の人物たちも、ほぼほぼユダヤ人であろうという人もいます。
オペラの台本にそのようなことは明言されていないので真偽のほどは明らかではありませんが、後に出てくるスゼルが聖書の物語を朗読する場面、当たり前のように彼女は教養として旧約聖書の物語を知っている、スゼルは毎晩父親に旧約聖書を読み聞かせているというところからもそのような説が出てくるのかもしれません。
ちなみに旧約聖書、新約聖書という呼び方はあくまでキリスト教から見たものであって、ユダヤ教においては聖書、といったら(キリスト教でいう)旧約聖書一択です。
ユダヤ人は昔から金融業などを司っていたこともあって(こちらも歴史において、ユダヤ人が出来る仕事が限定されていたという事情もあり)、ユダヤ人のお金持ちは当時も、そして今でも多いです。
ですからフリッツも、そうしたユダヤ人の富豪の1人だった可能性も否定はできないわけです。
さて長くなりましたが、そんなフリッツとダヴィッドが何を話しているかというと…
ダヴィッドはこの村で、若い男女の結婚をお世話しているというようなことを以前から行っています。
今で言う婚活支援のようなものでしょうか。
ダヴィッドがこの時結婚させたいと思っている、ある若者2人は愛し合っているけれどお金がない。
そこで富豪のフリッツに持参金を貸してもらおうと、ダヴィッドはやって来ています。
それに対してフリッツは最初、
「何で僕が持参金を払わないといけないのか、そもそも結婚なんて嫌いだ!愛なんてもんはわからんよ!」
と文句を言うのですが、要するに彼は独身貴族。
今までただの1度も恋愛したことはない、なんてことはないでしょうが、少なくともこの時点でフリッツは、恋愛に全く興味がないようです。
今でこそ、そんな独身貴族は珍しくもないでしょうが、初演当時では40歳近くにもなって結婚していないフリッツのような人は、恐らく変人扱いされていたことでしょう。
そこに同じ独身仲間であるフェデリーコとアネゾーがやって来ます。
どうやら今日はフリッツの誕生日のようで、彼を祝うためにやって来ました。
フリッツは先ほど文句を言ったものの、ダヴィッドに気前よくお金を貸す、どころか、
「期限は僕が200歳になるまでとする!」と言って、つまりは貸すというよりあげたのでした。
そのぐらいの出費はフリッツにとって何でもないようです。
ダヴィッドは喜び、早速若い新郎新婦のもとにお金を持って行きます。
残ったメンバーが乾杯しているところへ、女中カテリーナがある来客を連れてきます。
それは、フリッツが所有する農地の管理人の娘、スゼル。
スミレの花を束にして、贈り物として持ってきたのでした。
ここで、初めてこのオペラでアリア♪と呼べそうなソロが、この物語のヒロインであるスゼルによって歌われます。
その美しさと純真さに見とれる男性陣たち。
ダヴィッドも戻ってきて、まだ子供だったスゼルがこんなに大きくなって、しかも綺麗になって、と驚きます。
そこに、外からヴァイオリンの音色♪が聞こえてきます。
「あれはベッペだ!」
ベッペはあることをきっかけにフリッツと仲良くなった、ジプシー的な暮らしをしている少年です。
この役はモーツァルトの「フィガロの結婚」( ① https://tenore.onesize.jp/archives/133 ② https://tenore.onesize.jp/archives/134 ) ケルビーノなどのように、喜劇の伝統にのっとって、メゾソプラノによって歌い演じられます。
ここではベッペが登場する前に、しばらく外から聞こえるヴァイオリンを登場人物たちが聴き入るというシーンになります。
舞台上の登場人物たちが観客と一緒になってヴァイオリンのソロを鑑賞するというこのシーンもオペラ「友人フリッツ」独特のものです。
やがて元気にベッペ自身が登場して、彼のアリア♪を歌います。
それによると、ベッペを始めとする母の無い子供たちが貧しさから寒さに震えていたとき、救いの手を差し伸べてくれたのがわが友フリッツ、とのことでした。
フリッツがただのお金持ちではなく、そうした優しい一面も持っていると示されています。
夜遅くなったのでスゼルは帰ります。
その可憐な様子に何かを決意したダヴィッド。
「よし、あの娘を誰かと結婚させよう!」
それを聞いたフリッツは、
「スゼルはまだ子供だ」と、ダヴィッドが誰彼構わず結婚させようとしていると非難します。
ダヴィッドはフリッツを始めとする独身主義者たちを逆に非難する小さなアリアを歌います♪
「あなた方はお金をご飯食べることにしか使わない!
家族を築く人から見ればあなた方は、実をなさない木だ!
そんな木は火にくべてしまいなさい!」
と、なかなか凄いことを言い放ちます。
そしてダヴィッドは、
「フリッツ、あなたがいずれ夫になることを確信していますよ!賭けてもいい!」
なんてことを言うので、フリッツはその賭けに乗ります。
「いいでしょう!では私のクレルフォンテーヌにあるブドウ園を賭けますよ!」
そんなところへ、外から行進曲が聞こえてきます、
窓から様子を見ると、ベッペの仲間である子供たちや村の人々がフリッツを称えるために集まっているのでした。
賑やかな合唱と音楽と共に、第1幕が終わります。
<第2幕>
農場の中庭が舞台です。
そこはフリッツが所有する土地、農園の管理人が住む家の近く。
そしてそこにはスゼルが住んでいます。
第1幕がフリッツの邸宅ということで、フリッツのテリトリー内でのストーリーでしたが、この第2幕はいわばスゼルのフィールド。
スゼルが1人登場します。
庭を見ると、サクランボの実がなっているのに気が付きます。
遠くからは農夫たちが仕事に出かける歌が聞こえてきます。
フリッツが何日か前からこの農地に滞在しているようで、間もなく目覚めるフリッツのためにスゼルは花を摘んで束にしています。
何となく異国情緒のある音楽と共にスゼルが1人で歌います♪
イケメンの騎士と少女の会話を歌っているのですが、スゼルの心にあるのは、昔から憧れを抱いていたフリッツです。
子供のころからの憧れは、成長するにつれていつしか…
そんなところへ目覚めたフリッツが声を掛けます。
スゼルは驚き、歌を聴かれていたことで気持ちがバレてしまったのでは、と照れます。
そして、そこになっていたサクランボの実を取るスゼルとそれを手伝いながら見守るフリッツの穏やかな二重唱♪となります。
ここからの二重唱は、コンサートや若手のオペラ研修所などでも取り上げられる、このオペラの中で最も有名な音楽かもしれません。
やがてフリッツは春の自然が芽吹いている情景に心から感動し、美しい旋律を歌い出します。
どこか悲し気な旋律から入るこの音楽、アルザスという地方がたどってきた歴史を踏まえたものでもあるのではないかと、私は考えています。
そこに、馬車の鈴の音が遠くから聞こえてきます。
フリッツの友人たち、ベッペ、フェデリーコ、アネゾー、そしてラビのダヴィッドがフリッツの農地に遊びに来たようです。
フリッツの顔色が良さそうなのを見て驚くダヴィッド。
それがスゼルの存在のおかげだと知ったダヴィッドは、「ははーん」と思います。
何しろ第1幕で賭けをしているわけですから、ダヴィッドとしてはフリッツを何としても結婚させたいわけです。
「散歩に行こうぜ!」というフリッツの誘いを断り、ダヴィッドは皆を見送ってスゼルと二人きりで話してみることにします。
スゼルの気持ちを確かめてみようとしているようです。
やってきたスゼルにダヴィッドは、
「少し疲れたので、水を1杯もらえますかな?」
と頼みます。
ここからスゼルとダヴィッドの二重唱となります。
スゼルが持ってきた水を飲んでダヴィッドは言います。
「スゼル、君がまるで聖書のリベカのようで、私がエリエゼルみたいなシチュエーションだね。
スゼル、ここで私に聖書のリベカの話を語って聞かせてくれないか」
スゼルは恥ずかしさからか最初躊躇しますが、やがて語り出します。
旧約聖書のお話に詳しくないと、ここで何が語られているのかチンプンカンプンなのですが、少しもとになった聖書のお話をご紹介します。
まずユダヤ教において重要な人物として、アブラハムがいました。
有名な”ノアの洪水”の後の、神による人類救済の始まりとして祝福を受けた最初の預言者にして、全てのユダヤ人の先祖として認識されている人でした。
そんなアブラハムにはイサクという息子がいました。イサクは40歳になってもまだ結婚していませんでした。
アブラハムはしもべに、息子イサクの嫁にふさわしい女性を探してくるよう命じました。
聖書にはないこのしもべの名前は後からつけられ、それがエリエゼルとなります。
エリエゼルがアブラハムの言いつけ通り、イサクの嫁探しに出かけて、井戸のところでラクダとともに休んでいました。
エリエゼルは神に祈ります。
「どうか良い娘に出会わせてください。ここに水を汲みに来た女性のうちで、私が『水を飲ませてください』と頼んだら、『お飲みください』と答える、そのような娘に出会わせてください!」
見知らぬ旅人に親切にする、ということは、ひょっとしたら現代で考える以上にリスキーなことだったのかもしれません。
その旅人が盗賊であることも珍しくはなかったでしょうから。
するとほどなくしてやって来たリベカという娘が、エリエゼルが水を頼んだら望み通り「どうぞお飲みください」と答えたので、「この娘だ!!」となり、その後めでたくリベカはエリエゼルに連れられて、イサクと結婚することになる、そんなお話です。
このお話をスゼルが歌う場面は、宗教色を帯びた荘厳な音楽となっています。
しかしダヴィッドは聖書の物語を語り終えたスゼルに問いかけます。
「もし私が天の使いだとして、たくさんの財産を持っている人が君を待っていると言ったらどうする?」
つまり、フリッツをアブラハムの息子イザクに例えて、スゼルにフリッツとの結婚を強烈に意識させようというわけです。
イサクは40歳頃まで結婚していなかったということで、フリッツとも共通しています。
スゼルはフリッツを「素敵な人」として憧れていましたが、ここへきて急に一人の男性としてフリッツを意識させられることになり、そこへ遠くからフリッツ本人の声が聞こえてきたものですから、
「ああ!神様!!」
と恥ずかしさからか、戸惑いからか、スゼルはその場を走り去ってしまいます。
そんなスゼルを見てダヴィッドはつぶやきます。
「彼女こそ、フリッツの妻になるだろう!!」
みんなより先に1人戻ってきたフリッツ。
ダヴィッドはフリッツに話しかけます。
「スゼルはいい娘だね。
彼女を村の若者と結婚させようと思うよ。」
それを聞いたフリッツは激高します。
「あんたの悪い癖だ!誰彼構わず結婚させようとして!
もううんざりだ!私に関わらないでくれ!」
とダヴィッドと喧嘩のようになってしまい、ダヴィッドも怒ってその場を去っていきます。
なぜこんなに腹が立つのか…。
フリッツは自分のおかしな感情に戸惑います。
「自分がバカにしてきた愛というものに、今や復讐を受けているというのか…」
これ以上スゼルへ気持ちを持って行かれるのを防ごうと、フリッツは街へと戻る決意をして、戻ってきた友人たちを連れてさっさと馬車に乗って帰ってしまいました。
そこへ戻ってきたダヴィッドとスゼル。
「フリッツめ、逃げたか!」
スゼルは、フリッツが何も言わず帰ってしまったことにショックを受けて泣き出してしまいます。
その涙を見て、ダヴィッドはやはりスゼルの気持ちがフリッツに向いていることを確信します。
静かに、第2幕が終わります。
第3幕に入る前に、ここでオーケストラによる間奏曲が演奏されます。
前作の「カヴァレリア・ルスティカーナ」でも、印象的で大変素晴らしい間奏曲が演奏されますが、この「友人フリッツ」においても、ドラマティックで素晴らしい音楽がつけられています。
その旋律は、第1幕でベッペが外から弾いていたヴァイオリン・ソロのものが使われています。
<第3幕>
舞台は第1幕と同じ、フリッツの自宅内です。
フリッツが1人で悶々としています。
スゼルのことが頭から離れないでいる様子。
家の外からは、物語と関わりのない他の家の娘が結婚することを祝う歌が聞こえてきます。
それすらも今のフリッツにはイライラモヤモヤの種です。
「みんな結婚結婚、愛だ愛だって…」
そんなところにベッペが遊びにやって来ますが、フリッツは浮かない顔なのでベッペは驚きます。
ベッペは彼なりにフリッツを慰めようと、
「僕も同じことで苦しんでいたよ!」
と、自分の恋模様をソロ♪で歌います。
しかしフリッツは
「お前もかベッペ!君も僕を苦しめるのか!もうほっておいてくれ!」
ベッペは仕方なく、トボトボとその場を去っていきます。
1人残ったフリッツは、ベッペの恋愛から”愛”というものに思いを馳せ、やがて”愛”というものを讃えざるを得ない、そんな心境になっていきます。
「おお愛よ、心の美しい光よ!」
とテノールのアリアと呼べるようなソロ♪を歌います。
フリッツの心は陥落寸前、といったところでしょうか。
そこへダヴィッドがやって来ます。
フリッツが恋に悩んでいる様子を見てほくそ笑んでいます。
「調子はどうだい?」
「1人にしてくれ!」
「いや、スゼルを結婚させる若者が見つかってね。彼女の父親にも会わせた。
あとはフリッツ、君の承諾があればと思ってね」
「何だと?僕は承知しない!ダヴィッド、あんたを困らせるためにも、結婚には反対だ!」
と、もはや何を言っているのかわかりませんが、フリッツは興奮してその場を去ってしまいます。
ダヴィッドはますます勝利を確信するわけですが、そこにやってきたのはスゼル。
スゼルも悲し気で浮かない様子です。
ダヴィッドはスゼルを励まして、彼もその場を去ります。
1人になったスゼルは、心に想う人がいることを、短いソロ♪で歌います。
まあそれは誰が見てもフリッツのことなわけで、このお話を舞台で見ているとじれったくてしょうがないのですが、音楽に、音楽に身を任せましょう。
そこへやって来たフリッツ。さあ、いよいよこのラブストーリーのクライマックスとなる二重唱♪です。
「スゼル、私に結婚式の招待状を持ってきたのかい?」
「ああ、そんなことおっしゃらないでください!」
「君はその若者を愛していないのか?なぜ結婚しようとしている?」
「お父様の言いつけで。」
「他に好きな人がいるのか?」
「そんなこと言えません!」
「では、もし私が君を、君を愛してると言ったら?」
「神様!!これは夢でしょうか??」
「愛してる!スゼル!!」
「私もあなたを愛しています!!」
と、このような展開が、まるで後のプッチーニ作曲オペラ「蝶々夫人」第1幕の二重唱を先取りしたかのような、ダイナミックな音楽で紡がれていきます。
2人は抱き合い、それを見たダヴィッド、
「みんな!勝ったぞ!私の勝ちだ!!」
と友人たちを呼びます。
賭けに勝ったダヴィッド。
フリッツがブドウ園をダヴィッドにあげようと言うと、ダヴィッドは
「いや、ブドウ園を誰が手にするかは決めていない。ブドウ園はスゼルにあげます!」
と、粋な計らいをするのでした。
独身主義者の友人たちは、フリッツが結婚することに衝撃を受け、
「俺たちはどうすりゃいいんだ…」
と嘆いていると、ダヴィッドが
「私がいい人を紹介してあげるよ!」
そしてフリッツが再び愛を称えるアリアを歌い出し、みなもそれに加わって、オペラ全体のフィナーレとなり、幕が下ります。
いかがでしたでしょうか。
本当に前回の「カヴァレリア・ルスティカーナ」とは似ても似つかない、ハッピーエンドのラブストーリーでした。
ですが前述したように、作曲家マーラーも気に入るほど、その音楽は前衛的なところもあり、適度な異国情緒があり、かといって全く聴きづらくない大変すばらしいものです。
タイトルの「友人フリッツ」原題の「L’amico Fritz」は、英語にすると「The Friend Fritz」。
誰にとっての”友人”なのかというところで、最初はラビのダヴィッド目線からの題名なのかとも思ったのですが、このお話が原作の小説とオペラ共に、今も地元アルザスで愛されているということを踏まえますと、”みんなの友人”フリッツ、といった意味が込められているのかもしれません。
演奏時間も90分ほどで、長くありません。
オペラ「友人フリッツ」もっと多くの方に気軽に楽しんでいただければと思います。
ありがとうございました。
髙梨英次郎でした。
参考文献
Robert Levine “LISTEN music & culture : L’amico Fritz” (Web)
Alberto Paloscia [Una musica per “cuori buoni” : from DVD “L’amico Fritz”] Teatro di Livorno 2002
市村卓彦「アルザス文化史」
山口れい「アルザス大好き!」
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