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オペラ「魔笛」ストーリー解説 - テノール歌手:髙梨英次郎のトークです | stand.fmモーツァルト作曲オペラ「魔笛」のストーリーを一挙解説! 0.00〜 序曲 3.17〜 第1幕 35.07〜 第2幕 #モーツァルト #オペラ #魔笛 #クラシック音楽
こんにちは!テノール歌手の髙梨英次郎です。
本日もオペラを解説して参ります。
オペラって面白いですよ!
モーツァルト作曲オペラ「魔笛」の内容とストーリーを取り上げて参ります。

登場人物はかなり多いので、各人物については、登場する時にその都度ご紹介していきます。
始めに序曲が演奏されます。
最初にオーケストラによって変ホ長調(Es-Dur)の和音が3回鳴らされます。
第2幕の儀式のシーンなどで同じようにこの和音が3回鳴らされるので、このオペラ「魔笛」全体が、儀式を執り行うザラストロ教団の影響下にあるとも解釈ができそうです。
3、という数字はこの後も色々なところで出てきます。
3はフリーメイソンにとってとても重要な数字なので繰り返し使われているのだ、という説が濃厚です。
フリーメイソンについては、これだけでブログが1本できてしまうほど説明が大変ですので、興味のある方は他のブログや動画などをご参照ください。
当時の文化人たちが入っていた秘密結社、同好会、非営利団体?のようなもので、モーツァルトもシカネーダーもフリーメイソンの会員だったのは事実です。
なので「魔笛」の物語にもふんだんにフリーメイソンの要素が表現されている、らしいです。
ですが3という数字については、そもそもキリスト教においても”三位一体”という概念(神と子と精霊)があり、かのJ.S.バッハも自分の作品で3を重要なモチーフや暗号として使っていたりします。
モーツァルトが「魔笛」を作曲していくうえで、ドイツ音楽の前例ともなるバッハの書法を取り入れている可能性もあるのではないでしょうか。
序曲はアダージョのゆっくりした音楽から、モーツァルトらしいアレグロの音楽に変わります。
この音楽も、それまでのモーツァルトの作品よりいっそう洗練されたものになっており、壮大な物語が始まることを予感させてくれます。
一旦終わったかと思いきや、再び変ホ長調の和音が3回ずつ演奏されます。
ちなみに変ホ長調は、♭3つの調です。ここでも3ですね。
「たんたん、たん」と、まるでドアのノックのようなリズムで、これがフリーメイソンの人が行うノックのやり方だとする方もいらっしゃいます。
やがて序曲は早さを保ったまま、盛り上がって終わります。
<第1幕>
幕が上がるとそこには、大蛇と、その大蛇から逃げている1人の青年がいます。
場所はとある岩山。
逃げているのは、どこかの国の王子タミーノ。
ト書きには、”タミーノは日本風の衣装を着ている”とありますが、恐らくこの時代に正確な日本文化が伝わっていたとは思えませんので、ヨーロッパから見た異国、という程度の表現でしょう。
ちなみに、台本を書いたシカネーダーの劇団が普段行う演劇などの公演を観に来ていた観客層は、主に民衆たちでした。
このオペラ「魔笛」においても、あくまで対象は貴族などではなく、一般民衆のお客様。
なので、(貴族たちが好むインテリ的な教養がなくても楽しめるように)色々なスペクタクル、視覚的にも楽しく観られる仕掛けなどが初演当時から舞台上に現れていました。
ここでもオペラのド頭から、大蛇という仕掛けで観客を驚かせ楽しませることになります。
蛇というのはユダヤ教の聖書において、イブをそそのかして (知恵の実を食べるようイブに促して) 人間に原罪をもたらした邪悪な存在として捉えられています。
「魔笛」のストーリーやキャラクターの一つ一つに何か宗教的・象徴的な別の意味が込められているかどうかは、モーツァルトたちに聞いてみないと分かりませんが、少なくとも王子タミーノに危機が迫っていることは確かです。
ト書きには、”弓を持っているが矢はない”とあり、矢を打ち尽くしてしまったのか、そもそも持っていなかったのか…。
「神々よ、お救いください!」
と、ひとしきり歌ったタミーノは気絶してしまいます。
そこへ3人の侍女たちが登場し、銀の槍(ト書き)を投げるか、槍を掲げて魔法をかけるかして、大蛇を打ち倒しました。
この3人の侍女は、後に登場する夜の女王に仕えています。
後にワーグナーが書くオペラ「ワルキューレ」に出てくるような、女戦士、もしくは魔法使いのような存在ですね。
大蛇を倒した侍女たちは、タミーノのイケメンぶりに見とれます。
「あら、この子可愛いじゃない」
「ほんとね」
「見たことないくらいイケてるわね。」

第2幕で明かされますが、王子タミーノは20歳。
若いイケメンに侍女たちは興味津々。
そのうちに、3人のうち誰が夜の女王に報告に行くか、誰がここに残ってタミーノの様子を見ているかで揉め出します。
「あたしここに残るわ」
「だめよ、あなた方報告に行って。私残るから」
「ダメよダメダメ」
埒が明かないので、3人一緒にいったんこの場を離れて女王に報告に行くことでまとまります。
ここまでが侍女たちの三重唱でした。(Nr.1)
1人になったタミーノは気が付いて、
「ここはどこだろう?」と音楽無しでセリフをしゃべります。
この「魔笛」は、ドイツの民衆歌劇「ジングシュピール」の形式で書かれている作品ですので、音楽と音楽の間は、音楽やメロディが無い喋りのみで進んでいきます。
やがて遠くからパンフルート(またはパンパイプ)の音が聞こえてきます。

タミーノが物陰に隠れると、そこに現れたのは色々な鳥が入った大きな鳥かごを背負ったパパゲーノ。
民謡風のアリアを歌います。(Nr.2)

台本を書いたシカネーダー自らが初演したことでも知られるこのパパゲーノ。
ウィーンの民衆劇によく描かれる典型的なキャラクターと言われている、いわばお調子者で憎めない存在です。
とにかく彼はよくしゃべります。
というのもパパゲーノの名前は、オウムのドイツ語”Papagei”が由来となっていて、オウムは”雄弁”の象徴としてキリスト教文化でも扱われています。
だから、後ほど黙っていなければいけない時でも、パパゲーノはつい喋ってしまう、まさにオウムのような人物です。
このアリアだけでなくパパゲーノの歌うパートは、恐らく歌の技術はそこまで無かったシカネーダーのために、あまり難しくない音楽で構成されていますが、聴けば一発でパパゲーノのキャラクターを観客にわからせることが出来る、モーツァルトによる素晴らしい作曲が成されています。
歌い終わって門の方へ行こうとするパパゲーノを、王子タミーノが呼び止めます。
「おい君!」
「うわ、何だ!?」
「君は誰だ?」
「誰かって、あんたと同じ人間だよ」
多くの場合、パパゲーノは鳥の羽を用いた服など奇抜な色や形の衣装を着ていますが、自分は普通の人間だ、とパパゲーノは言います。
ただ、この後のパミーナとの会話で、自分は善良な妖精だ、というようなセリフもあり、本当のところパパゲーノが人間なのか妖精なのかはっきりとはしません。
「魔笛」の世界観は半分おとぎ話のようなものですので、パパゲーノが人間か妖精か、ということはあまり大きな問題ではないとも言えます。
「俺が人間かどうかを聞いてくる、あんたこそ誰だい?」
「僕の父は多くの国と人を治める領主で、僕は王子だ」
「何だそりゃ?この山の向こうにも国や人がいるのか」
「もちろん」
「じゃあ、俺の鳥を買ってくれるかなぁ」
パパゲーノは鳥刺し、と呼ばれる仕事をしています。
鳥刺しとは、辞書によると”鳥を捕獲する人、それを生業とする人”とのことですが、実際に槍などで刺すわけではなく、鳥もちという粘着質の物がついた道具を使って鳥を捕まえる人です。
パパゲーノはこの山にいる鳥を捕まえて、夜の女王に納めて、代わりに食べ物や飲み物をもらっているとのこと。
パパゲーノの母親は昔、夜の女王に仕えていたようですが、パパゲーノは母親に会ったことがなく、彼を育てたのは恐らく父親である陽気な男性だそうです。
「君は夜の女王に会ったことはあるのかい?」
「はぁ!?あるわけないだろ!!生身の人間が女王を目の前で見るなんてことがあるもんか!!」
夜の女王はとても高貴な存在であることが示されます。
人知を超えた存在であるのかもしれません。
タミーノは父親からこの女王の話を聞かされており、ここに迷い込んだのも特別な力が働いているのかもしれないと思い始めます。
「ところでこの大蛇を倒してくれたのは、君かい?」
「何だって、大蛇?…うわあああ、何だこいつは!?」
「またまたご謙遜を。こんな怪物をどうやって倒したの?」
「ああ、いや、俺の怪力でこんなやつ、なんてことないぜ!」
と、パパゲーノは調子よく嘘をついてしまったところに、先ほどの3人の侍女たちが戻ってきます。
「パパゲーノ!」
「ああ、ご婦人方、なんだか機嫌が悪そうだけど、どうしました??今日も鳥を持ってきましたぜ。」
「女王様からの贈り物は、ワインの代わりに今日は水よ!」
「パンの代わりに、石よ!」
「えええ、石なんて食えないよ!」
「そしてあなたの口にはこの錠前をかけます!」
すると、パパゲーノの口に錠前で鍵がかかって開かなくなってしまい、パパゲーノは喋ることが出来ません。
どうやら大蛇を倒したというパパゲーノの嘘が侍女たちにバレていて、パパゲーノは嘘をついた罰を食らってしまいました。
「お若い方、大蛇を倒したのは私たちよ。怖がらないで。
これは女王様からの贈り物。こちらは女王様の娘。どうぞご覧になって。」
美しい女性が描かれた肖像を渡されたタミーノは、その肖像に見とれて立ち尽くしています。
しばらく一人にしておこうと、侍女たちはいったんその場を離れます。

ここから、肖像、絵姿を見てタミーノの心に愛の炎が燃え上がる、アリアとなります。(Nr.3)
ドイツ系リリックテノールの必須レパートリーと言える1曲。
「この人が僕の目の前に現れたなら、きっとこの胸に抱き寄せることだろう!」
静かな歌い出しから、愛の感情が沸々と湧いてくる様子を描いた、格調の高い素晴らしい音楽です。
そこへ3人の侍女たちが戻ってきて、タミーノに語り掛けます。
「そこに描かれた女王様の娘の名はパミーナ。
パミーナは、邪悪な者共にさらわれてしまったのよ」
「何だって!」
タミーノはパミーナの身を案じて、彼女を救うことを決意します。
そこへ、雷鳴と共に夜の女王ご本人が登場。
ト書きには、舞台の岩山が突然、壮麗な居間へと変わり、そこにある玉座に女王が据わっている、とあります。

荘厳な音楽と共に、セリフを音楽に乗せたレチタティーヴォとアリアが女王によって歌われます。(Nr.4)
オペラ「魔笛」は、モーツァルトが作曲してきた音楽の集大成ということで、このアリアも、モーツァルトが今まで書いてきたオペラセリア(シリアスな、真面目なオペラ)に使われてもおかしくないような華麗な音楽となっていて、夜の女王役にはコロラトゥーラ・ソプラノ(細かい音符を歌うソプラノ)として最上級に難しい技術を要求されます。
「恐れないで、お若い方。
あなたのように汚れなく賢く純粋な者がきっとこの悩める心を癒してくれるでしょう」
ここから切々と娘を奪われた悲しみを歌い、やがて、
「あなたが娘を助けに行って勝利をつかんだなら、あの子は永久にあなたのものとなるわ!」
と、クライマックスでは最高音のF(ファ)の音を響かせてアリアが終わります。
すると女王の姿は消え、舞台は元の岩山に。
タミーノが呆然としていると、そこにパパゲーノがやって来ますが、相変わらず口には錠前がつけられていて、喋ることが出来ません。
音楽が始まり、3人の侍女を交えた五重唱となります(Nr.5)。
フムフム、とハミングしかできないパパゲーノに何もしてあげられないタミーノ。
そこへ侍女たちが戻ってきて、
「女王様は許してくださったわ」
と、パパゲーノにかけた魔法の錠前を解いてやります。
「ああ、もう喋っていいのかい?」
「いいけど、もう嘘をついちゃダメよ」
「つかない、つきません!!」
ここから5人は妙に教訓じみたフレーズを歌います。
「嘘つきにはこの錠前をつけよう!
憎しみ、悪口、腹黒い気持ちの代わりに
愛と友好を!」
すると侍女の1人がタミーノに、
「これは女王様から貴方への贈り物です。
この魔法のフルート(=魔法の笛→魔笛)は、行く手を阻むものから貴方を守ってくれるわ。」
ここで、物語のタイトルである「魔笛」が登場します。
この笛を吹くと、何やら良い効果が得られるようです。

パパゲーノはその場から去ろうとするのですが、
「パパゲーノ、あなたも王子についていって、ザラストロの城へ向かうのよ」
パミーナをさらう指示をした悪人の名前がザラストロであると、ここで初めてわかります。
すると、みるみる怯えだすパパゲーノ。
「イヤだ!ザラストロってのは恐ろしい奴なんだろ?
きっと僕の羽をむしられて、犬のえさにされちゃうよ!」(羽が生えている=やはり妖精??)
ごね出すパパゲーノに侍女たちは、パパゲーノ専用のアイテムが入った箱を渡してあげます。
「これは何?」
「これは銀の鈴。あなたのお守りよ」

安心したパパゲーノ。
タミーノとパパゲーノは出発しようとしますが、城への行き方が分かりません。
尋ねられた侍女たちは答えます。
「3人の童子たちがあなた方を案内します。この子たちに従いなさい」
ここでも3人、3が出てきました。
この童子たちはここでは歌わないものの、この後に歌う場面が出てきます。
タミーノとパパゲーノは城に向かい、この場面は終わります。
続いて場面はザラストロの城の中。
壮麗なエジプト風の内装が施されています。
楽譜に書かれた正式な台本では、ここで3人の奴隷たちが音楽無しの会話を繰り広げますが(ここでも3人!)、大抵カットされます。
彼らは、捕らわれていたパミーナが逃げ出して、奴隷頭のモノスタトスがそれを追いかけている、といったことを話しています。
みなパミーナに同情していて、自分たちの上司であるモノスタトスのことは嫌っているようです。
けたたましい音楽が始まると同時に、パミーナがモノスタトスと奴隷たちによって連行されてきます。

モノスタトスは初演の設定によれば、モール人、すなわち黒人とされています。
ザラストロから、パミーナを監視する役割を与えられていたモノスタトスですが、パミーナに惚れてしまったモノスタトス。
「おいお前たち、彼女に手錠をかけろ!」
パミーナが絶望して気を失ったのをきっかけに、モノスタトスは他の奴隷たちを退がらせ、パミーナと二人きりになろうとします。
その直後、モノスタトスたちがいる部屋の窓の外にパパゲーノが現れます。
パパゲーノはタミーノと共にザラストロの城へ入ったものと思われますが、タミーノは3人の童子たちの先導に従って注意深く進む一方、パパゲーノには先回りをさせて様子を見るよう指示したようです。
パパゲーノはもしかしたら、鳥のように身のこなしが軽いのかもしれません。
パパゲーノは部屋の中に入り、気絶しているパミーナを見たのち、部屋に戻ってきたモノスタトスと鉢合わせます。
パパゲーノは羽が付いた鳥のような衣装、一方モノスタトスは黒い肌の人間。
お互い、相手の見た目に驚いて、2人ともその場から走り去ってしまいます。
ここまでが、パミーナ、パパゲーノ、モノスタトスの小さな三重唱となっています(Nr.6)。
戻ってきたパパゲーノは言います。
「俺ってバカだな、あんなに驚くことはなかった。
黒い鳥もいれば、黒い人だっているよね」
ここは音楽の無いセリフですが、ここにもそれまでの価値観を揺るがせるような、革命的、友愛的思想が込められているとする識者の方もいます。
現代から見れば当たり前のこのセリフ、黒人に対する白人社会の長年の偏見を思えば、初演当時に発せられたこのセリフに聴衆達はハッとさせられたかもしれません。
やがて正気に戻ったパミーナ。
パミーナとパパゲーノとの対話が始まります。
「あなたは誰?」
「夜にきらめく女王様が俺を遣わしたんだよ。」
「お母さまが!あなたの名前は?」
「パパゲーノさ。君の姿が描かれているこの肖像画を見た王子と、ここにやってきたんだ。王子はこれを見て君に一目惚れしたみたいだよ」
「まあ、嬉しい!」

そんな対話の後に、パミーナとパパゲーノによる二重唱が歌われます(Nr.7)。
「心に愛を感じることが出来れば、男も女も幸福を感じる。
愛の喜びと尊さで、人は神に近づく。」
といった内容です。
”神に近づく、到達する”というワードは、この後も他の人物たちによって歌われる、作品を通じたメッセージの一つです。
その音楽はとても穏やか、かつ真摯に愛を讃えるようなものとなっています。
この二重唱の音楽がお気に入りだったベートーヴェンは、これをもとにしてチェロとピアノによる変奏曲を書いています。
再び場面が変わり、神聖なる雰囲気の森の中。
3人の童子たちに連れられて、タミーノはザラストロたちの神殿の入り口に到着しました。
童子たちが歌うこの場面から、第1幕のフィナーレが始まります(Nr.8)。
この童子たち、童子という役どころから、できれば天使のような声を持つボーイソプラノたちに歌ってほしいところですが、歌唱の技術面や、現代の法律などの問題もあり(子供を夜一定の時刻以降に働かせてはいけないので、夜の公演が難しい←日本だけ?)、女性ソプラノ歌手によって演じられる場合もあります。
童子たちは
「この道を行けば到着だよ。勝利をつかむんだ!
毅然として、忍耐強く、沈黙を保ってね。」
と、やはり3つの格言を言い残して去っていきます。
神殿の入り口には、3つの寺院への入り口ないし扉があり、それぞれ「知恵の寺院」「理性の寺院」「自然の寺院」などと書かれています。
この3つの言葉にも、フリーメイソンの思想が込められているとされています。
戸惑うタミーノですが、どれかの門を開けて先に進む決心をします。
ところが、理性、自然それぞれの寺院の門からは、「さがれ!!」という男声合唱の声がして、進むことが出来ません。
それならと、中央の「知恵の寺院」の門を叩くと、中から一人の僧侶が現れます。
ドイツ語の役名では”Sprecher”、直訳すると話す人、弁者とも訳される人物です。
通常Sprecherというと、歌わずに音楽無しで喋る役(「後宮からの誘拐」におけるゼリム太守など)が想定されますが、モーツァルトはこの弁者という役に歌と音楽を与えています。
しかし、朗々と歌うわけではなく、ここからの場面ではタミーノと、劇的なオーケストラつきレチタティーヴォ(喋るように歌うオペラの表現方法)が繰り広げられます。

王子タミーノは、パミーナをさらったザラストロのことを、とんでもない悪党だと女王や侍女たちから聞かされています。
なので、タミーノはこの弁者にも喧嘩腰で突っかかります。
「ここをザラストロが治めているのだろう?奴は大悪党だ!」
「なぜそのように言える?」
「不幸な女性が涙しているからだ」
「女の言うことを信じるのか」
そして、現代ではまた問題となるようなセリフを弁者が言います。
「女は行動せず、口だけは達者だ!」
みなさま、これはあくまでも時代劇、童話的オペラですので、現代の価値観であまり目くじらを立てぬよう、どうかお願い致します。
とはいえ、現代ドイツやオーストリアなどでこのセリフが発せられると、聴衆からは笑いが起きるそうです。
「ま、そういう時代だったよね」と笑い飛ばすくらいでちょうど良いかもしれません。
この後もザラストロ教団のポリシーとして、女性蔑視的発言が出てきますので、今申し上げたようなことを念頭に置いてください。
弁者は続けます。
「ザラストロ本人から事情を聞きなさい」
「事情などわかっている!パミーナを母親から奪った強盗じゃないか!」
「まぁそれは事実だがね」
「彼女はどこだ!?」
「私の口からは言えぬ」
そうして、弁者は寺院の奥へと去っていきます。
この前の場面までとは別のオペラのように、タミーノと弁者の対話における音楽は真面目かつスリリングなものです。
この場面での音楽は、後のワーグナーの楽劇における対話を先取りしている、とも言われています。
先が見えない闇の中にいるようだ、と苦悩するタミーノ。
「この暗闇はいつ晴れるのだ?」
すると寺院の奥から声がします。
「すぐに晴れる、もしくは永遠に晴れない」
「何だって!?では答えてくれ、パミーナは生きているのか?」
「パミーナは、、生きている」
「生きている!良かった!!」
そしてタミーノは、もらった魔法の笛を取り出し、吹き始めます。
それと同時に、”笛のアリア”と呼ばれる歌を歌います。
笛の音につられて、色々な動物たちがタミーノのもとに集まってくる、と台本では指示があります。
アリアの後半では、笛の音に応えるように、パパゲーノのパン・フルートの音が奥から聞こえてきます。
どうやらパパゲーノ達にもタミーノの笛の音が聞こえているようです。
アリアが終わると場面は移り変わり、パパゲーノとパミーナがいる場所へ。
2人はやはりタミーノの笛の音を聞きつけていて、音がする方へ向かおうとします。
そんな二人の二重唱となっていたところへ、モノスタトスが忍び寄り、割り込んで三重唱となります。
「捕まえたぞ!お前たち、ロープを持ってこい!」
「うわあ、どうしよう!…そうだ!この鈴を鳴らしてみよう!」
と、パパゲーノは持っていた鈴を高々と掲げます。
すると可愛らしい音色のグロッケンシュピール、いわゆる鉄琴の音がして、その音楽を聴いたモノスタトスと奴隷たちは、まるで催眠術にかかったようにポヤーっとなって歌い出します。
「すてきなひびきだなー、こんなのはじめて、らららーら、ら、らーらら♪」
そのまま歌いながら彼らはどこかへ去ってしまいます。
素晴らしい鈴の魔力!
安心していたパパゲーノとパミーナでしたが、すぐに奥からファンファーレと合唱が聞こえてきます。
「ザラストロ万歳!」
「まずいわ!ここにザラストロが来るのよ!!」
そこへ人々が集まってきて、狩りから戻って来たザラストロがついに姿を現します。
ト書きによると、6頭のライオンに引かせた凱旋車に乗って登場するとのことで、何ともド派手です。

そんなザラストロの前に、自ら進み出てひざまずくパミーナ。
「私は掟を破った者となりました。
でも私の罪ではなく、モノスタトスが無理矢理に私から愛を得ようとしたからです!」
ザラストロは穏やかに応えます。
「立ちなさい。そなたの心はよくわかっている。
そなたは”別の男”を愛しているのだな。
そなたに愛を強いることはしないが、自由を与えることもしない。」
このセリフを聞くと、ザラストロはパミーナを妻などにしようとしていたかのように聞こえます。
役柄的には、恐らくザラストロの年齢はパミーナよりもかなり上。
ここで思い出されるのは、ドイツ・オペラにおける「魔笛」の先輩に当たる、同じくモーツァルト作曲の「後宮からの誘拐」。
「後宮」に登場するトルコの太守ゼリム。
ゼリムも、捕らわれのヒロイン、コンスタンツェの愛を得ようとしていましたが振り向いてはもらえず、彼女が愛しているのは別の男性ベルモンテ。
というストーリーでした。
ある程度年齢を重ねた男性が若い女性への憧れを捨てきれずにいる、というモチーフはドイツ、イタリア、喜劇悲劇を問わず色々な作品に現れますが、ドイツ・オペラということでは、この後のワーグナー作曲「ニュルンベルクのマイスタージンガー」におけるハンス・ザックスが思い起こされます。
ザックスもエーファへの密かな想いに揺れるさまが表現されます。
この「魔笛」において、ザラストロもそのように若いパミーナへの想いを抱いていると考えられますが、演出によってはそのような解釈を取っていない場合もあります。
演出の可能性については、最後に詳しくお話します。
対話の続きではザラストロが、
「そなたたち女の心は男が導かなくてはならない、男がいなくては女はその領域を踏み越えてしまうからだ」
と、またもやフリーメイソンの思想、及び時代劇ポイントとなるセリフも聞かれます。
そこへ、催眠術から正気に戻ったモノスタトスが、今度はタミーノを捕まえてやって来ます。
「生意気なガキめ、来い!
こちらは我らが主君、ザラストロ様だぞ!」
ところがタミーノはそんなことには構わず、そこに肖像で見たパミーナがいることに感動して驚きます。
パミーナも、現れたのが自分を救いに来た王子タミーノであるとすぐに確信したようです。
「この人は!この人が!夢じゃない!」
抱き合おうとする二人をモノスタトスが引き離します。
「何やってんだ!図々しい!離れろ!」
そしてモノスタトスは誇らしげに、ザラストロへ自分の手柄を報告します。
「この生意気なク〇ガキは、ヘンテコな鳥野郎の助けを借りて、パミーナをさらおうとしたのです。
でも私がしっかり捕まえました!」
ザラストロは応えます。
「よくやった。褒美をやろう」
「そんな、お言葉だけで十分ですー!」
「77回足の裏を叩く刑が褒美だ!」
「…え、そんな、そんなの欲しくないです…!」
「礼はいらんぞ、これが私の務めである」
そうして、モノスタトスは連れ去られてしまいました。
パミーナから報告を受けるまでもなく、モノスタトスの悪事はザラストロも先刻承知だったのかもしれません。
そしてザラストロは、タミーノとパミーナそれぞれを試練の場へと連れて行くよう指示します。
群衆たちがザラストロを讃えます。
ちなみにここでも、「美徳と正義が輝く時、人は神に近づく」という言葉が歌われます。
ここで第1幕が終わります。
<第2幕>
椰子の木々で覆われた場所に、ザラストロ教団の祭司たちが、穏やかな行進曲と共に現れます(Nr.9)。
そしてザラストロも重々しく登場。

ここで祭司たちの会議が行われます。
この教団では、イシスとオシリスを偉大なる神として崇めていることがザラストロの台詞で明らかとなります。
イシスとオシリスとはエジプト神話に登場する神々で、イシスが豊穣の女神、オシリスが冥界の神で、イシスとオシリスは兄弟であり夫婦です。
初演時における舞台セットやト書きのイメージもエジプトがモチーフとなっているので、後のヴェルディ「アイーダ」に通ずる雰囲気もありそうですが、シカネーダーやモーツァルトが想定している世界観としては、そこまでエジプトにこだわっているわけではなく、それまでのキリスト教文化とは異質なもの、異国情緒を表現しているだけのような気がいたします。
ザラストロは司祭たちに問いかけます。
「20歳の王子タミーノが、試練を受けて夜の闇を取り払い光を得ることを欲している。
彼は徳を持ち、口も堅く慈悲深い。
タミーノに試練を受ける資格があると思う者は賛成の意を示してほしい。」
すると金管楽器の和音が3回鳴らされて、皆が賛成の意を表します。
そしてザラストロと男声合唱によって、イシスとオシリスを讃える歌が歌われます(Nr.10)。
まるでバッハやヘンデルの宗教音楽のような、敬虔な響きを持つ曲です。
場面が変わり、寺院の中庭。夜です。
タミーノとパパゲーノが祭司たちに連れてこられます。
祭司たちはタミーノとパパゲーノに試練を受ける覚悟を問います。
「タミーノ、友情と愛を得るための試練においては命を失うこともあるが、その覚悟はあるか?」
「あります!」
パパゲーノは、あまり乗り気ではないようで、
「俺は別に知恵とか興味ないんだけどな…。きれいな嫁さんは欲しいけどさ…」
「ならば試練を受けなくてはいけない」
「どういう試練?」
「我らの掟に全て従うこと、死をも恐れないことだ」
「なら独り身でいいです!!」
「おい! …おまえとそっくりな女性と出会えるとしたらどうだ?」
「え!?そんな娘がいるのかい?名前は?」
「パパゲーナだ」
「パパゲーナかぁ、それは会ってみたいなぁ…。」
そして祭司たちはタミーノとパパゲーノに、沈黙の試練を与えます。
誰が来ても、何が起きても黙っていなくてはいけません。

そして祭司二人によるテノールとバスの二重唱が歌われます(Nr.11)。
「女性の罠に気をつけよ!
多くの賢者も騙される。
死と絶望が報いとなるのだ!」
またもや現代において物議をかもしそうな内容ですが、おとぎ話であり、時代劇であり、フィクションです。
ですし、特に昔の宗教、キリスト教にしろ仏教にしろ、女人禁制またはその逆の男子禁制ということはあったかと思います。
煩悩にとらわれるな!というのがこの歌の趣旨であると捉えることもできるのではないでしょうか。
音楽的には、「コジ・ファン・トゥッテ」でフェルランドとグリエルモが第1幕で歌う二重唱(よくカットされる)に似た、とても短くシンプルなものとなっています。
祭司たちが去ってタミーノとパパゲーノだけになったところに、夜の女王に仕える3人の侍女たちがやって来ます。
ここから、第1幕と対を成すかのような五重唱となります(Nr.12)。
「ちょっと、何?どういうこと?
あなたたちなぜこんな恐ろしい場所にいるの?
ここじゃ決して幸せになれないわよ。
タミーノ、あなたには死が近づいているわ
パパゲーノ、あんたもおしまいね!」
「いやちょっと待って、そりゃひどいよ!」
「黙っていろ、パパゲーノ!」
彼女たちによると、夜の女王もすでに寺院へ侵入したとのこと。
うろたえるパパゲーノと沈黙を保とうとするタミーノ、彼らをなじる侍女たちとの対比が緊張感を生む見事な五重唱です。
しかしタミーノ、当初の目的は夜の女王に頼まれて邪悪なザラストロからパミーナを救いに来たはずですが、今ではもうすっかりザラストロたちの指示に素直に従って、女王や侍女たちのことを邪険に扱っています。
こういったところで台本の破綻を主張する方も多いですが、現代の色々な刺激的ストーリーに慣れた我々からすると、そこまで不思議とは思えません。
良い人だと思っていた人物が実は悪人だった、あるいはその逆、というストーリーはいくらでもあります。
また登場人物ひとりひとりが何かのシンボル、モチーフであると考えるとどうでしょう。
タミーノは第1幕で弁者と喋った後から、「夜の闇を払いたい、光はどこに?」と問いかけるようになります。
とすると、夜、闇の象徴である女王や侍女たちは振り払うべき対象となります。
ドイツ語でもイタリア語でも、昼は男性名詞、夜は女性名詞です。
男女の違いは、現代ではグラデーションとして捉えるべきで、二元論で語ってはいけないのは常識となっていますが、ここでは光と闇、昼と夜、太陽と月にどうしても分かりやすい形で”男と女”が当てはめられています。
タミーノはザラストロ本人を目の前にして、またモノスタトスへの裁きを見て、ザラストロが思っていた悪人ではないことを瞬時に悟ったのかもしれません。
タミーノは、ザラストロに与えられた試練をここで素直に受ける気になっています。
ですが同じ女性でもパミーナは、汚れ無き光として存在しており、後ほどパミーナが主体的に物語を動かしていくことで、まだ未熟な段階ながら、”女性の自立”といった思想も内包しているのではないかと私は考えています。
さて五重唱の終盤、激しい雷鳴と奥から聞こえる男声合唱が響いたかと思うと、侍女たちはその場から消し去られてしまいます。
「ひえええ」と怯えるパパゲーノ。
そこへ戻ってきた二人の祭司。
タミーノとパパゲーノを新たな試練の場へと連れて行きます。
場面が変わり、庭園。
花々に囲まれたあずまやのベンチでパミーナが眠っています。
そこへ忍び寄るのは、モノスタトス!
ザラストロから命じられた足裏叩きの刑はまだ執行されていないのか、あるいはそこから逃げてきたのか、彼はまだ元気に歩けています。
性懲りもなくパミーナへの想いを諦められないモノスタトスは、彼女が寝ている隙に近づいてキスしたい!と、その衝動を抑えきれない様子でアリアを歌います(Nr.13)。
早口で呟くように歌われる、モノスタトスのキャラクターを存分に表現した音楽で、楽器のピッコロが軽やかに活躍する、ある種の憎めない1曲です。
そこへ夜の女王が突然現れます。
すぐに逃げて物陰へ隠れるモノスタトス。
女王はパミーナへ語り掛けます。
「お前の父さんが死んだとき、私も力を失った。
あなたの父親は、7つの光輪をすすんでザラストロ教の信者たちに渡したのよ。
ザラストロはその強大な太陽の輪を身に着けている。
あなたの父親は死ぬ前に言った。
”その光の輪は、聖なる者がつけるべきものだ。ザラストロは、私がしてきたようにしっかりと世を治めてくれるだろう。
お前の義務は、自分と娘を賢者の導きに委ねることだ”」
カットされることも多いセリフの場面ですが、ザラストロと夜の女王の関係性について非常に重要なことを言っているように思えます。
何か他のモチーフから拾ってきた設定なのでしょうが、このセリフを読む限り、パミーナの父、そして恐らく夜の女王の夫である人物はザラストロを憎んではいないようです。
むしろ、妻と娘をザラストロに託すかのような発言をしていました。

しかし夜の女王は違います。
光、および昼の象徴であるところのザラストロやその教団は、夜の象徴である自分を破滅させようとしている。
そう考えている女王は、パミーナに自ら研いだ短剣を渡し、これでザラストロを亡き者にせよ!と命じます。
そしてかの有名なアリア、”地獄の復讐がわが心に燃え”を歌います(Nr.14)。
「魔笛」のナンバーのうちでも1,2を争う有名曲。
High F(ものすごく高いファの音)を何度も要求される難易度Super Hardモードのアリアです。
歌い終わると女王はその場を去ります。
2人の様子を物陰からずっと見聞きしていたモノスタトス。
女王がいなくなったのを見計らって、パミーナのもとへ近づきます!
「あなたは!」
「聞いていたぞ!女王がお前にザラストロを殺すことを命じていたこと、ザラストロにバラしちゃおっかな!そうしたら、お前の母親の命はないだろうな!
やめてほしかったら、、俺のことを好きになれ!」
「イヤよ!」
「なーにー!!だったらお前も死んでしまえ!」
モノスタトスがパミーナに危害を加えようとしたその瞬間、ザラストロがその腕を抑えます!
「ザラストロ様!わわ、わたくし、あなたを亡き者にしようというものがいたので、ワタクシが罰しようと思いまして。。」
「すべてお見通しだ!お前の魂が汚れていることもな。
善良なこの娘の母親が短剣を彼女に渡していなければ、モノスタトスお前を極刑に処していたところだ。去れ!!」
「…こうなりゃ、あの母親の所へ行ってみるか」
そうつぶやいてモノスタトスは走り去ります。

「どうかお母さまを罰しないでください!」
と、パミーナはザラストロに懇願します。
「わかっておる。彼女は寺院の地下をうろついている。我等への復讐に燃えているようだが、私の復讐の仕方は違う。
あの若者(タミーノ)は天の助けを得られるだろう。そうすればそなたは彼と一緒になることができ、それを見た女王は恥じ入って城に帰るだろう」
そしてザラストロは、荘厳なアリアを歌います(Nr.15)。
「この広間には、復讐など存在しない。」
愛と友情を歌ったこの歌も、フリーメイソンの思想が反映されていると言われています。
再び場面が変わり、タミーノとパパゲーノが祭司たちにとある広間へ連れてこられます。
相変わらず沈黙を貫くよう祭司に釘を刺されて、祭司たちは去ります。
「タミーノ」
「しっっ!!」
「何だよ、つまんないの。あーあ、退屈だなぁ」
そんなところへ、一人の老婆がパパゲーノのもとへやって来て、水をくれます。
「ありがとう、おばあちゃん。退屈だから話し相手になってくれよ。
おばあちゃんは歳いくつだい?」
「18歳と2分だよ、坊や」
「www、何だって?じゃあ、彼氏はいるの?」
「もちろん」
「名前は?」
「パパゲーノ」
「へえ、パパ…!ぱ、パパゲーノ??俺!??俺があんたの彼氏???…あんたの名前は?」
「私は…」
老婆が名前を告げようとしたその瞬間、雷が鳴り、老婆は慌ててその場を去ってしまいます。
もともと雷鳴が苦手なパパゲーノは、すっかり驚いて身を小さくしてしまいます。
そんなところへ、第1幕でタミーノを案内した3人の童子たちがやって来てチャーミングな三重唱を歌います(Nr.16)。
ザラストロが二人から取り上げていた魔法の笛と鈴を、ザラストロが返してくれるとのことで、持ってきてくれました。
そしてタミーノとパパゲーノにと、食べ物や飲み物も運んできてくれます。
…いったい、この童子たちは夜の女王、ザラストロどちらの味方なのでしょう?
よくギリシア神話やオペラで登場するデウス・エクス・マキナ(機械仕掛けの神)のように、彼らは善悪や昼夜を超越した神の使いなのかもしれません。
「タミーノ、頑張ってね、ゴールは近いよ!
パパゲーノ、黙ってるんだよ!」
と歌って、童子たちは去っていきます。

童子たちが持ってきてくれた食べ物飲み物を遠慮なくいただくパパゲーノ。
「タミーノ、食べないの?」
タミーノは応えずに、童子たちから受け取った魔法の笛を吹いています。
そこへ、パミーナが現れます。
「あなたの笛の音が聞こえて、急いでここに来たのよ!」
ところが、どんなに話しかけてもタミーノは応えません。
パミーナはすっかり落ち込んでしまい、悲し気なアリアを歌います(Nr.17)。
「ああ、もう愛の幸せは決して訪れない。
私、もう生きてはいけないわ…」
何とも悲しい音楽で、これを聞いても黙っていなくてはいけないタミーノにとっても、心をえぐられるような辛い試練となっていることでしょう。
パパゲーノも、こういった場面では茶化すようなことは言わず、黙っています。
歌い終わるとパミーナは去ってしまいます。
タミーノとパパゲーノは次なる試練の場へと移動していきます。
場面は寺院の地下室へと変わります。
僧侶たちの荘厳な男声合唱が歌われます(Nr.18)。
ミサ曲で歌われるような、敬虔な気持ちにさせられる音楽です。
ザラストロや司祭たちもこの場所にいます。
こちらにタミーノが連れてこられます。
ザラストロにより、2つの危険な道を抜けなくてはいけないことが告げられると、ここにパミーナも連れてこられます。
タミーノを見て思わず駆け寄るパミーナですが、タミーノは彼女を遮ります。
「さがれ!」
そしてここからパミーナ、タミーノ、ザラストロの三重唱となります(Nr.19)。
音楽的に劇的な展開はありませんが、試練に立ち向かうタミーノ、別離を悲しむパミーナ、二人を見守るザラストロ3人の心が交差する素晴らしい三重唱です。
この場にいた全員が去ると、パパゲーノが1人迷い込んできます。
どうやらタミーノとはぐれてしまったようです。
弁者、もしくは司祭がやって来て、
「もうお前には試練は無理だな。神々はお前を許してくださるが、試練の先の喜びは得られないからな」
と、ある意味では試練失格をパパゲーノに告げるのですが、そもそもパパゲーノは試練など受けたくなかったので、あまり気にしません。
弁者がくれたワインを飲みながら、パパゲーノは陽気なアリアを歌います(Nr.20)。
グロッケンシュピールの前奏が可愛らしい、パパゲーノのキャラクターを存分に表した1曲となっています。
このアリアも、後にベートーヴェンが変奏曲に編曲しています。
パパゲーノのもとに、先ほどの老婆がまたやって来ます。
ひとしきりやりとりがあり、老婆は言います。
「あんた、1人きりになりたくはないだろ?
だったら、あたしと愛を誓ってくれるかい?」
「おばあちゃんとかい??…わかったよ、誓うよ」
パパゲーノが誓うといったその瞬間!
老婆がマントを脱ぎ去ると、そこには老婆ではなく、パパゲーノと全く同じ衣装を着た若い女性が現れます!
彼女こそ理想の人、パパゲーナ!!

駆け寄ろうとしたパパゲーノ、、、ですが、パパゲーナは弁者もしくは司祭に連れて行かれてしまいます。
「お前にはまだ彼女と一緒になる資格はない!」
あわれ、パパゲーノは別の空間へと飛ばされてしまうのでした。。
また場面がとある庭園へと変わり、ここから第2幕のフィナーレとなっていきます(Nr.21)。
もう歌わないセリフだけの対話は出てきません。
第1幕のフィナーレと対を成すように、3人の童子たちが登場します。
童子たちの音楽は、ボーイソプラノが歌うことを念頭に置かれていることもあり、どれも天国的な素朴さと純真さに溢れています。
「暗い妄想が消え去って、賢いものが勝利する、
そうなれば地上は天の国となり、人は神々に等しくなる」
と、先ほどから歌われていたキーフレーズが出たところで、童子たちはパミーナが絶望しているのを目の当たりにします。
パミーナはタミーノを永遠に失ってしまったと思い込んでおり、短剣を手にして自らに突き刺そうとしています。
「可哀そうに!」
と見守っていた童子たちですが、パミーナが腕を振り上げた瞬間、童子たちはその手を必死につかんで彼女を止めます。
「パミーナ、そんなことしたら君の想い人が悲しんじゃうよ。」
「あの人は私を愛してくれているの?なぜ喋ってくれなかったの??」
「ここではその理由は言えないけど、必ずタミーノに会わせてあげる。だから、おいで!一緒に行こう!」
それを聞いて再び希望を取り戻したパミーナと、童子たちの美しく感動的な四重唱となります。
場面は2つの大きな山が見える場所へ。
それぞれ炎と水がモチーフとなっている山です。
ここが最後の試練の場。
厳粛な響きを持った音楽の中、2人の武装した男たちがテノール・バスによるオクターブのユニゾンで歌い出します。
武士と訳されることもあるこの役には、録音や公演によってはワーグナーを歌うようなテノールやバスが配されることもあります。

タミーノがやって来て歌に加わり、試練の道へ続く門が開こうかというその時、奥からパミーナの声がします!
「タミーノ、待って!!」
「あれはパミーナ!」
「さよう。もはや、いかなる運命もそなたたちを引き離しはしない」
「もう喋ってもいいのか?」
「良い」
何とここからは、今までの試練の条件がだいぶ緩和されて、タミーノとパミーナ二人で試練に立ち向かっても良いとのことです。
それというのも、パミーナもタミーノと同じように苦難や苦悩を乗り越えて、最後の試練を受ける資格ありとザラストロ教団に判断されたからかもしれません。
やってきたパミーナ。
タミーノから、
「試練で命を落としてしまうかもしれない」
と聞かされますが、
「どこへでも、あなたと一緒に行きます」
と、パミーナは恐れを抱いていない様子。
そして、
「さあ、持っているその魔法の笛を吹いて。
その笛は私の父が樹齢千年の樫の木から作ったものなのです」
と、笛の由来を話しつつパミーナは魔笛を吹くことをタミーノに促します。
タミーノが笛を吹きながら、まずは炎の試練、続いて水の試練へと二人は歩みを進めます。
笛の魔法により炎や水から二人は守られて、無事に試練を終えることが出来ました。

試練を終えた二人を、ザラストロ教団の群衆たちが褒めたたえ、彼らは皆、寺院の奥深くへと去っていきます。
…しかしよくよく考えるこのシーンにも違和感、謎が残ります。
ザラストロたちが用意したこの試練に、夜の女王からもらった笛を使って臨むのは、試練のルール的に大丈夫なのでしょうか?
この笛がなかったら、彼らは試練には耐えられなかったのでは…。
こうした謎の解釈についても、最後にまたお話します。
場面は再び庭園へ変わります。
パパゲーノが1人、引き離されたパパゲーナを探し回っています。
持っていたパンフルートを何回も吹きますが、誰も応えてくれません。
あまりに絶望したパパゲーノは、どこからか縄を持ってきて、そこにあった木にひっかけて首をくくろうと決心します。
「いや、最後に3つ数えてみよう!3になったら、もう俺の人生を終わらせよう。
いち…
に…
……さん…。」
やはり誰からも応答はありません。
「何も起きない。誰も止めてくれない。
それじゃ、おやすみ、イヤな世の中の皆さん!」
そこへ3人の童子たちが駆け込んできます!
「やめなよパパゲーノ!人生は一度きりだよ!!
その魔法の鈴を鳴らしてごらんよ!!」
「俺ってバカだな、鈴があるのを忘れてた!
さあ、魔法の鈴よ!あの可愛い娘を連れてきてくれ!!」
チャーミングな鈴の音が鳴らされ、パパゲーノが後ろを振り返ると、そこに…
先ほど現れたパパゲーナがやって来ています。
そしてここから大変有名な”パパパの二重唱”が歌われます。
「パ、パ、パパパパパパゲーナ!」「パパパパパパゲーノ!」
と、他愛のないような言葉遊びから音楽が素晴らしく発展していく、楽しくも感動的なシーンとなっています。

絶望から希望、愛へと物語を一気に進めるパパゲーノには、歌唱力以上に大変な演技力が要求されます。
思い返せば、オペラの終盤に観客の注目を一気に集めるパパゲーノを初演したのは、このオペラの台本の中心的作家であるところのシカネーダー。
ちゃっかり自分が一番目立つように物語を創作していったわけですね。
また、ザラストロたちの教義に則って、試練を乗り越えた理想的な理念を追い求めるタミーノ・パミーナのカップルと違い、パパゲーノはあくまで世俗の喜びを追い求めた結果、幸運なことにパパゲーナという最良の伴侶を得ることが出来ました。
これはパパゲーノだけの欲求に則った結果というわけでもなく、パパゲーナは自らの意志でパパゲーノと一緒になる選択をしたと私は確信しています。
というのも、その前にあった会話のシーンで、パパゲーナは老婆の扮装を自ら脱ぎ捨てて、それを見た司祭に「まだ早い!」と止められたことから、彼女は教団の指示にはあまり盲目的に従ってはいない印象を受けるからです。
シカネーダーおよびモーツァルトは、道徳的社会的理想を追い求める人も、陽気に人生を楽しむことを追い求める人も、どちらのことも否定しない素晴らしい物語を作り上げたのでした。
パパゲーノとパパゲーナが去ると、そこに、モノスタトスの先導で夜の女王、3人の侍女たちがそっと忍び込んで登場します。
モノスタトスは夜の女王に取り入ることに成功し、寺院まで女王たちを案内すればパミーナと結婚させてくれる、と約束を取り付けました。
そんな彼らの短い五重唱なのですが、寺院へ彼らが押し入ろうというその時!
雷鳴が響き渡り、強い光の下、夜の女王やモノスタトス、侍女たち夜の闇を表す登場人物たちは奈落の底へ落とされてしまいました。
そしてそこにはザラストロ、タミーノ、パミーナ、群衆たちが全員揃い、ザラストロが歌い出します。
「太陽の光が夜の闇を払う、偽善者たちの見せかけの力を砕く」
そして全員の合唱となります。
「聖なる存在となった者たちよ、万歳!
君たちは夜を突き抜けたのだ。
イシスとオシリスに感謝を!
美と英知に永遠の王冠を!!」
こうして、オペラ全体の幕が下ります。
いかがでしたでしょうか。
初演されたときのト書きにある設定こそ、エジプト風や日本風などの指定がなされていたりするものの、全体的には解釈の幅がとても大きいストーリーとなっています。
最後に夜の女王やモノスタトスたちが退けられてしまうことも、演出によっては彼ら丸ごと救済されるような場面が表現されたり、そもそもザラストロと夜の女王が結託していて(ザラストロが実は夜の女王の夫、パミーナの父親だったなんてことも)、ザラストロたち大人たちがタミーノやパミーナ、パパゲーノ、パパゲーナ、果てはモノスタトスに対して一種の若者向け教育プログラムとして、この試練や物語を用意していた、なんていう演出もあります。
その童話的雰囲気から子供向け上演などにも適したオペラですが、初演を見たあのサリエリがモーツァルトに、「最大の祝祭で、最大の王侯君主の前で上演するのにもふさわしい」と絶賛したとされています。つまり、それだけ内容の深い作品だということです。
思えば初演当時は、フランス革命が起きた直後で、世の中の価値基準が大きく変わろうとしているさ中でした。
夜の女王たちの勢力を王族貴族たちの旧価値観、ザラストロたちの勢力を平等を訴える革命側と捉え、タミーノやパミーナ、パパゲーノたちはその価値観を行き来する人間そのものと捉えることもできますし、逆にザラストロたちを旧王侯貴族側と捉えて「あの時代は良かった」と解釈することもできます。
この「魔笛」に触れた人それぞれが、自分自身を投影して浸ることもできるし、それ以前に素晴らしい音楽に身をゆだねるだけでも良い。
いかようにも楽しめてしまうモーツァルトが最後に遺した大傑作、それがオペラ「魔笛」です。
是非皆さんに、人生で一度はこのオペラ「魔笛」に触れてほしいと願っています。
ありがとうございました。
髙梨英次郎でした。
<参考文献>(敬称略)
松田 聡「モーツァルトのオペラ 全21作品の解説」
西川尚生「モーツァルト (作曲家 人と作品シリーズ)」
スタンダード・オペラ鑑賞ブック [3]「ドイツ・オペラ 上」
ヨアヒム・カイザー 「モーツァルトオペラ人物事典」(小野寿美子 片岡律子 瀬戸井厚子・訳)
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