オペラ解説:モーツァルト「後宮からの誘拐」解説① 作曲、初演

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オペラ全曲ざっくり解説の文字起こしです。

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オペラ「後宮からの誘拐」解説①作曲、初演 - テノール歌手:髙梨英次郎のトークです | stand.fm
モーツァルトによる爽やかな喜劇「後宮からの誘拐」の作曲、初演までの経緯です! そしてモーツァルトのプライベートでも大きな転機が起きます。 文字起こしブログはこちら↓ 参考文献(敬称略) 名作オペラブックス「後宮からの誘拐」 松田 聡「モーツ...

こんにちは!テノール歌手の髙梨英次郎です。

本日もオペラをざっくり解説して参ります。

オペラって面白いですよ!

今回は、モーツァルト作曲オペラ「Die Entführung aus dem Serail 後宮からの誘拐」をご紹介いたします。

ウィーンでのモーツァルトの名声を確立した大ヒット作。

音楽の筆もさえわたり、それぞれのキャラクターに沿って書かれた歌唱芸術と、溌溂としたストーリーを楽しめる喜劇となっています。

まず、日本語タイトルについて。

”誘拐”という物騒な言葉が使われていますが、他に「後宮からの逃走」と呼ばれることもあり、主にはこの”誘拐”と”逃走”の2つに分かれています。

ストーリー的には、さらわれたヒロインを後宮から救い出すというお話なのですが、ドイツ語での原題”Die Entführung”を直訳すると、誘拐やら乗っ取りとなり、あえてモーツァルトや台本作家がそういった少し物騒な言葉をタイトルにつけたように思われます。

ここでは、直訳に近いニュアンスの”誘拐”でご紹介させていただきたいと思います。


それでは作曲と初演の経緯について。

ウィーンに住み始めたモーツァルトは、ほどなく自分の雇い主であった故郷ザルツブルクの大司教と決別し、晴れてフリーの作曲家となっていました。

ところでオペラと呼ばれるジャンル、いわゆる歌劇は、西暦1600年ごろにイタリアのフィレンツェで始まり、そこから長いこと、当時のエンタメの頂点に君臨していました。

その作品はイタリア発祥ということもあり、ほぼ全てイタリア語の台本に曲がつけられたものでした。

フランスでは、フランス語による独自の歌劇が発展していきましたが、ドイツ語圏では18世紀後半の時点でいまだオペラの中心はイタリア語による作品に占められていました。

ですが、ドイツ語圏において、ドイツ語で演奏される歌劇のジャンルもあるにはあったのです。

それが、Singspiel ジングシュピールと呼ばれるジャンルです。

こちらも英語で言えば”Singing Play”つまり日本語に直訳すると、やはり”歌劇”となります。

しかしジングシュピールは大規模なオペラ劇場ではなく、より小さな芝居小屋などで民衆向けに上演されていて、オペラより”格下”と見なされる傾向にありました。

ちなみにイタリアオペラでは歌のナンバーとナンバーの間にある台詞も、レチタティーヴォと言って、音符がつけられて歌うように発せられます。

ドイツのジングシュピールでは、歌と歌の間は、セリフが普通にしゃべられて劇が展開していきます。

モーツァルトは以前から、オペラといえばイタリアオペラでしょ!という状況に疑問を抱いていました。

モーツァルトはオーストリアのザルツブルク出身ですから、ネイティブな原語はドイツ語です。

「ドイツ語がオペラに向いてないとは思いません!」

とモーツァルトは父親に書き送っています。

この以前にも、モーツァルトは「バスティアンとバスティエンヌ」というジングシュピール作品を作曲しています。

そんな折ついにモーツァルトのもとに、ときのオーストリア皇帝ヨーゼフ2世からオペラの、それもドイツ語ジングシュピール形式による作品の作曲依頼が届きます。

宮廷のオペラ監督でもあったシュテファニーという人物が台本を書いたその作品が、トルコを舞台にした「後宮からの誘拐」でした。

これ以前にもモーツァルトは、ピアノ・ソナタであの有名な「トルコ行進曲」を作曲しており、同じくトルコが舞台のこのオペラ台本も相当お気に召したようです。

この時期のヨーロッパでは、トルコを舞台にしたオペラや音楽作品が人気を集めていたこともありました。

完成したオペラ「後宮からの誘拐」は、1782年7月16日、ウィーンの宮廷劇場で初演されました。モーツァルト26歳。

最初に申し上げたように、初演は大成功。

文献によっては、モーツァルト生前最大の成功としているものもあるほどです。

有名なエピソードとして、オペラを聴いた皇帝ヨーゼフ2世が、

「ちょっと音符が多すぎないか?」

とモーツァルトに告げたところ、モーツァルトは

「陛下、必要な分しかございません。」

と答えたというものがありますが、真偽のほどは定かではありません。

そしてオペラ初演からほどない、8月4日、モーツァルトは生涯の伴侶コンスタンツェ・ヴェーバーと結婚します。

コンスタンツェには、ソプラノ歌手のアロイジアという姉がいました。

Aloysia Weber

ウィーンに移る以前から、モーツァルトはアロイジアに声楽レッスンをしていたことがあり、彼女のために独唱作品を作ったりもして気にかけていくうちに、いつしかそれは恋心となっていきました。

実際のところ、モーツァルトとアロイジアがどこまでの関係だったのかは定かではありませんが、事実から言えばアロイジアは別の男性と結婚してしまいました。

だったら、というわけでもないでしょうが、アロイジアの妹コンスタンツェとも以前から知り合いであったのでしょう、ウィーンで久しぶりに再会したモーツァルトとコンスタンツェは仲を深めていったのでした。

Constanze

このオペラのヒロインも同じくコンスタンツェという名前なのですが、そうなったのは全くの偶然です。

偶然とはいえモーツァルトとしては、大成功した作品のヒロインと妻が同じ名前で、さぞ幸せな気持ちに至ったことだろうと想像いたします。

それでは内容とストーリーは、次回お送りいたします。

ありがとうございました。

髙梨英次郎でした。


<参考文献>(敬称略)

松田 聡「モーツァルトのオペラ 全21作品の解説」

名作オペラブックス「後宮からの誘拐」

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