オペラ全曲ざっくり解説の文字起こしです。
聴きながら読むと分かりやすい!音声はこちら↓

こんにちは!テノール歌手の髙梨英次郎です。
本日もオペラをざっくり解説して参ります。
オペラって面白いですよ!
今回から、モーツァルトのオペラを取り上げてまいります。
その作品数は、宗教的な題材のものを含めると21作あるのですが、現在世界中でコンスタントに上演されている作品は、
「イドメネオ」以降の7作品となります。
”モーツァルト7大オペラ”なんて呼ばれ方をしたりもするそうです。
その他の作品については、機会、ご要望があればご紹介することとして、まずは「イドメネオ」から、作曲初演の経緯とストーリーをお話しようと思います。
(ちなみに日本では「イドメ(>)ネオ」と発音されがちですが、イタリア語の発音ではイドメネ―オと読むのが正式です)
幼い頃から作曲をして、楽器の演奏にもたけていた神童ヴォルフガング・モーツァルト。
そんなモーツァルトが初めてオペラを作曲したのはなんと11歳の時。
モーツァルトが生きた18世紀後半においては、作曲家としての最大目標はオペラで成功することでした。
父親レオポルトの導きもあったのでしょう、その後いくつものオペラ作品が、モーツァルトが10代の頃に、イタリアでの劇場公演や今のオーストリア・ザルツブルクでの祝典などで上演されていきます。
ところが色々な事情でしばらくオペラの作曲、初演が成されることが無くなりました。
1780年、モーツァルトが24歳の頃ようやく、以前オペラ「偽の女庭師」という作品を上演したことがあるミュンヘンの宮廷から、新しいオペラを作るよう依頼が届きます。
題材はミュンヘン側から指定されたもので、もともとフランスで上演されていた「イドメネ」という作品、こちらをイタリアオペラ化してくれ、というわけです。
ギリシア神話に登場するクレタ島の王イドメネウス(イタリア語名イドメネオ、以下イドメネオで統一)が主人公です。
かのトロイア戦争に参加していたイドメネオが戦争終結後、クレタ島に帰還した後のお話が、伝承のような形で残っており、これがオペラにおけるストーリーのもととなっています。
モーツァルトの故郷ザルツブルクの礼拝堂で神父をしていた、イタリア生まれのヴァレスコという人が台本を書きました。
この「イドメネオ」は、ジャンルで言うと”オペラ・セリア”というところに属します。
直訳すると、真面目なオペラ、シリアスなオペラという意味のオペラ・セリアですが、18世紀当時は正式なオペラ、オペラと言えばオペラ・セリアという状態でした。
ギリシア神話や古代ローマの歴史などが題材となっており、たいていハッピーエンドとなります。
ハッピーエンドとするために、歴史や神話を都合よくアレンジする、なんてこともしばしば行われていました。
久しぶりに”正式な”オペラ・セリアを作曲できるとあって、若きモーツァルトも気合十分。
お約束事の多いオペラ・セリアの形式に則りつつ、色々と新たな音楽的試みをしています。
ミュンヘンの宮廷にいたオーケストラは、当時の世界最高レベルだったそうで、そのおかげもあってモーツァルトは音楽的な冒険が出来ました。
また、モーツァルトは故郷のザルツブルクにいたままでは、自由な音楽活動が出来ないというフラストレーションがたまっていたようで、ザルツブルクから離れたところで仕事ができるのはモーツァルトにとって大変な喜びでした。
自分を音楽に導いてくれた父親へは感謝もあったでしょうが、だいたいにおいて24,5歳ともなれば、そろそろ親元から離れて自分の力を発揮していきたいと思う年頃です。

Mozart 1781
「イドメネオ」の初演は1781年1月29日、ミュンヘンのレジデンツ劇場、モーツァルト25歳の時に行われました。
初演が成功だったかどうかを伝える資料はありませんが、会場には父のレオポルトや姉のナンネルも駆けつけて、恐らく成功に終わったことでしょう。
出来上がった作品にモーツァルトは自信を持っており、後々までも、音楽的に最も完成度が高いのは「イドメネオ」だとモーツァルト自身が発言しているほどです。
この初演から2週間後、モーツァルトはそのまま故郷ザルツブルクへは帰らずに、ウィーンへと住まいを移して、自由な作曲活動へと邁進していくことになります。
それでは内容とストーリーは、次回お送りいたします。
ありがとうございました。
髙梨英次郎でした。
<参考文献>(敬称略)
松田 聡「モーツァルトのオペラ 全21作品の解説」
名作オペラブックス「イドメネオ」
コメント