オペラ解説:ヴェルディ「ファルスタッフ」解説① 作曲、初演

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オペラ全曲ざっくり解説の文字起こしです。

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オペラ「ファルスタッフ」解説①作曲、初演 - テノール歌手:髙梨英次郎のトークです | stand.fm
ヴェルディ28作目「ファルスタッフ」の作曲、初演までの経緯です。 ヴェルディ最後はまさかの喜劇! 文字起こしブログはこちら↓ 参考文献(敬称略) 小畑恒夫「ヴェルディ 人と作品シリーズ」「ヴェルディのプリマ・ドンナたち」 ジュゼッペ・タロッ...

こんにちは!テノール歌手の髙梨英次郎です。
本日もオペラをざっくり解説して参ります。
オペラって面白いですよ!

今回は、ヴェルディ28作目にして最後のオペラ「ファルスタッフ」を取り上げてまいります。
「オテッロ」( ① https://tenore.onesize.jp/archives/125 ② https://tenore.onesize.jp/archives/126 ) で全てを表現しきった…かに見えた80歳にならんとするヴェルディが世に送り出したのは、まさかの喜劇!
数多くのオペラ作品において人間の怒りや悲しみ、愛ゆえの悲劇を描いてきたヴェルディが最後のオペラ作品最後の場面で音楽をつけた台詞は、
「世の中すべて冗談だ!」
なんとも”粋”なしめくくりとなった「ファルスタッフ」多くの皆様に知っていただきたい作品です。


それでは作曲と初演の経緯について。

「オテッロ」が大成功に終わって、ヴェルディはまたしばらく音楽から遠ざかる日々を送りました。
昔からの友人や弟子、ライバル作曲家たちが相次いでこの世を去る中、ヴェルディと一番気が合う仲となったのは、「オテッロ」の台本を書いたボーイトでした。
ボーイトはとても頭の良い人で、ヴェルディより29も年下なのですが、「オテッロ」を共に作っていくうちに、ヴェルディの性格や好みを完全に把握しました。
ヴェルディもボーイトと話したり手紙をやり取りすることを楽しんでいました。
1889年ヴェルディ75歳の頃、ボーイトとの間で、どちらからともなく、
「じゃあもう一つオペラを2人で作っちゃおうか、それも喜劇を。」
という話になったようで、秘密裏に計画が持ち上がり進んでいくことになります。
ヴェルディの妻ジュゼッピーナすらも、夫がまた作品を書こうとしているとは気づかなかったようです。

Boito & Verdi

題材はシェイクスピアの「ウィンザーの陽気な女房たち」を下敷きとした、「ファルスタッフ」です。
ヴェルディが最後に喜劇を作曲したのは、1840年に初演された2作目「1日だけの王様」のみで、こちらも解説しましたので詳細はぜひこちらのブログと音声をご参照いただきたいのですが(https://tenore.onesize.jp/archives/85 )、ヴェルディはこの時、妻や子供を相次いで亡くして不幸のどん底にあり、この「1日だけの王様」も大失敗に終わってしまったのでした。
それ以来50年弱、純粋な喜劇作品をヴェルディが書くことはありませんでした。
ですがこの間、まったく喜劇を書きたくないと思っていたわけでもないようです。
悲劇的作品の中にも時折、喜劇的な要素や笑いを表現した箇所が出てきます。
特に「仮面舞踏会」※1、「運命の力」※2 辺りでその傾向が顕著に表れています。

※1 ( ① https://tenore.onesize.jp/archives/115 ② https://tenore.onesize.jp/archives/116 )

※2 ( ① https://tenore.onesize.jp/archives/117 ② https://tenore.onesize.jp/archives/118 )

「ファルスタッフ」が候補に挙がったのも初めてではありません。
さかのぼること20年ほど前、「ドン・カルロス」( ① https://tenore.onesize.jp/archives/121 ② https://tenore.onesize.jp/archives/137 ) 完成直後のころ1869年、パリ向けの題材として「ファルスタッフ」が考えられたようですが、インスピレーションが湧かなかったのか、ヴェルディはこの題材を諦めています。
それでもヴェルディの頭の中には常に、ファルスタッフを主人公にした喜劇を書いてみたいという欲求があったものと思われます。
それがボーイトという天才と知り合ったことでついに実現する時が来たのです。
ボーイトによってまとめられた台本は素晴らしいものとなりました。
「ウィンザーの陽気な女房たち」では、サー・ジョン・ファルスタッフ(英語読みではフォルスタッフ)はバカにされていじめられてばかりなのですが、同じくシェイクスピア作の「ヘンリー四世」でのファルスタッフの要素を取り入れ、ファルスタッフの魅力が十分に発揮されるシーンが加わり、実に奥行きのある作品に仕上がったのです。

実はこの「ウィンザーの陽気な女房たち」、ヴェルディとは奇妙な縁のある作曲家が、ヴェルディよりもだいぶ前にオペラ化しています。
その作曲家は、オットー・ニコライ。

Otto Nicolai

ニコライは1841年ごろミラノにいて、スカラ座の支配人から「ナブッコ」の台本への作曲を依頼されていたのですが、これを断り、代わりに当時ヴェルディが手を付けないでいた「追放者」という喜劇作品に曲をつけることにしました。
そしてニコライが手放した「ナブッコ」の台本がヴェルディのもとに届いたのです。
その結果はご存知の方も多いでしょうが、ヴェルディが書いた「ナブッコ」( https://tenore.onesize.jp/archives/86 ) は起死回生の大ヒット!
ヴェルディは一躍、人気作曲家の仲間入りを果たすことになりました。
一方のニコライ作「追放者」は、さんざんな大失敗。
ニコライはイタリアを離れ、ウィーンへ移り、1849年に「ウィンザーの陽気な女房たち」を作曲してベルリンで初演がなされ、こちらは大成功となりました。
そんなニコライの「ウィンザー」を、またまたヴェルディの作品が吹っ飛ばしてしまうことになってしまいます。

またファルスタッフを題材にしたオペラは他にも多くの作曲家によってオペラ化されていて、その中には、モーツァルトと同時代の作曲家にしてその暗殺が疑われた人物としてもお馴染みの、サリエリも含まれています。

秘密裏に作曲が進んでいた「ファルスタッフ」ですが、1890年11月、出版社リコルディ社長が主催する食事会でボーイトが「太鼓腹に乾杯!」と乾杯の音頭を取って、周りの人々は最初ぽかんとしていましたが、リコルディ社長が間もなく気づきます。
「ヴェルディ先生が新作を書かれる!それは太鼓腹ファルスタッフだ!!」
ご存知ない方のために、ファルスタッフはそのお腹が太鼓のように大きな60歳前後のおじさんなのです。
リコルディとしてはこの頃、ヴェルディが新作をさらに書くとは思っておらず、新進作曲家として力をつけつつあったマスカーニ、そしてプッチーニの売り出しに力を入れていたのですが、ここでまさかの大巨匠ヴェルディの新作とあって、一気に盛り上がります。
ですが当のヴェルディは冷静にさらに作曲を進めます。
この喜劇の作曲を、ヴェルディはことのほか楽しみました。
1892年の夏に全曲が完成して、入念なリハーサルが重ねられ、ついに初演の日を迎えます。
1893年2月9日、ミラノ・スカラ座、ヴェルディ79歳。
客席には、この8日前にトリノで「マノン・レスコー」の初演を成功させたプッチーニ(この時34歳)、マスカーニ(30歳)、後にプッチーニへ台本を書くジャコーザなどがいました。
初演は「オテッロ」の時の熱狂ほどではないものの、老いてなおこのように溌溂とした喜劇作品を生み出したヴェルディに惜しみない拍手と歓声が送られました。
こうして28作のオペラ作品を作曲してきたヴェルディはその後穏やかな生活を送り、1901年1月27日、87歳でその生涯を終えました。
その作品の数々は今も色あせることなく、世界中で上演され続けています。
それでは「ファルスタッフ」の内容とストーリーは次回お送りいたします。

ありがとうございました。

髙梨英次郎でした。


<参考文献(敬称略)>

小畑恒夫「ヴェルディ 人と作品シリーズ」

ジュゼッペ・タロッツィ「評伝 ヴェルディ」小畑恒夫・訳

永竹由幸「ヴェルディのオペラ」

髙崎保男「ヴェルディ 全オペラ解説」

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