オペラ解説:ヴェルディ「運命の力」解説① 作曲、初演、改訂

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オペラ全曲ざっくり解説の文字起こしです。

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オペラ「運命の力」解説①作曲、初演、改訂 - テノール歌手:髙梨英次郎のトークです | stand.fm
ヴェルディ24作目「運命の力」を解説! 帝国ロシアからの依頼に、ヴェルディはどう答える? 文字起こしブログはこちら↓ 参考文献(敬称略) 小畑恒夫「ヴェルディ 人と作品シリーズ」「ヴェルディのプリマ・ドンナたち」 ジュゼッペ・タロッツィ「評...

こんにちは!テノール歌手の髙梨英次郎です。

本日もオペラをざっくり解説して参ります。

オペラって面白いですよ!

今回は、ヴェルディ24作目のオペラ「運命の力 La Forza del Destino」を取り上げます。

それまでのイタリアオペラの形式を脱した、壮大な物語。

大きな悲劇の流れの中に時折姿を見せる喜劇的側面。

ここから続く後期傑作の数々の先駆けともいえる「運命の力」、ぜひ触れてみてください。


まずは作曲と初演の経緯について。

ヴェルディは1859年に「仮面舞踏会」( ① https://tenore.onesize.jp/archives/115https://tenore.onesize.jp/archives/116 ) を発表した後、しばらくは作曲活動をしていませんでした。

以前お話した通り、長年未婚のまま連れ添ってきたジュゼッピーナ・ストレッポーニとこの頃、正式に結婚をします。

その後カヴールという著名な政治家と会って話したヴェルディは、カヴールに説得されて1861年1月、47歳の時にイタリアの国会議員に選出されます。

この年、長い間全イタリア人が熱望していたイタリア独立がついに達成されて、それまで「ナブッコ」( https://tenore.onesize.jp/archives/86 ) を始めとする、独立を鼓舞するような音楽も作っていたヴェルディはイタリア国民の代表の一人として、国会に参加することになったのでした。

イタリアの国会のイメージ

ですが、やはりヴェルディ先生の本分は音楽ですので、数年後、国会議員を辞任することになります。

またヴェルディは政治活動と並行して、むしろそれ以上に、所有していた農園管理に熱中していました。

その規模はより大きくなり、近代設備を取り入れたりするなど、その入れ込みようは今で言う副業と呼べるものではなく、農園管理が完全に本業かのようでした。

ジュゼッピーナも友人への手紙で、

「ヴェルディは音楽についての知識を全部忘れてしまったのではないかと心配しています」

と、冗談にしても、彼女がそんなことを言うほどヴェルディはこの時期、音楽に携わっていなかったのでした。

そんなヴェルディのもとに、新作の依頼をしてきた劇場がありました。

それは、帝国ロシアのサンクト・ペテルブルク帝室歌劇場。

全ヨーロッパに名前が轟いていたヴェルディに、ついにロシアから依頼が来ることになりました。

おそらく相当な額の報酬もあったのでしょう、久しぶりにヴェルディは作曲の筆を持つことになります。

題材は、検討がなされた結果、スペインの有名な作家リヴァス公爵サアヴェドラの「ドン・アルヴァ―ロ、運命の力」に決まりました。

台本は、いつもヴェルディに忠実なピア―ヴェ。

Piave

ピア―ヴェはこの頃、ミラノ・スカラ座で舞台監督・演出家のような仕事をしていてとても忙しかったのですが、ヴェルディの依頼とあらば断われません。

台本も仕上がって1861年の12月、途中まで作曲したヴェルディは、ジュゼッピーナと共に極寒のロシアへ旅立ちます。

寒い寒いロシアですが、もちろん、大先生ヴェルディをお迎えするにあたっては国賓並みの待遇で、滞在には暖かい部屋が用意されていたようです。

しかし、主役を予定していたソプラノ歌手が病気になってしまい、公演は1年延期となってしまいました。

ヴェルディは、自分の作品が代役の半端な歌手に歌われるよりは、せっかくロシアに来たけど延期して、いったんイタリアに帰って、また来年来る!ということを選んだのです。

そして1年後の1862年11月10日、サンクト・ペテルブルク帝室歌劇場で「運命の力」が初演されました。ヴェルディ49歳。

Giuseppe Verdi in Russia

充実した歌手陣で行われた初演は、好評のうちに迎えられました。

出席していたロシア皇帝や皇后も感激していた、とのことです。

客席には、「展覧会の絵」で有名なムソルグスキーもいたそうで、その後「ボリス・ゴドゥノフ」というオペラを作曲しますが、そちらはこの「運命の力」の影響が見て取れる作品となっています。

さてヴェルディは、「運命の力」のフィナーレがあまりに悲惨すぎると、初演直後から考えていました。

詳しくはストーリー編でお話しますが、初演版では主役のテノール、ドン・アルヴァ―ロが最後、キリスト教の僧侶に暴言を吐いて、身を投げて自殺してしまうというものです。

初演から数年経って、ヴェルディは「運命の力」を、このラストシーンやその他の場面を書き直すべく改訂版に着手します。

初演版の台本を書き、それまでヴェルディに忠実にたくさん台本を書いてきたピア―ヴェは、1867年に脳卒中で倒れてしまいました。

その後、数年にわたる長い闘病生活の末、1876年3月、ピア―ヴェは息を引き取ります。65歳でした。

ヴェルディは、ピア―ヴェが入院している間の費用を出したり、彼の遺族にも支援をしたりして、長年の相棒で忠実に仕事をしてきてくれたピア―ヴェに報いています。

代わりに改訂版の台本を書いたのはギズランツォーニという人物で、その後彼とは、「アイーダ」(① https://tenore.onesize.jp/archives/122 ② https://tenore.onesize.jp/archives/123 ) を共に作っていくことになります。

初演から7年後の1869年2月27日、ミラノのスカラ座で改訂版が上演されます。ヴェルディ55歳。

公演は大成功で、その後、現在上演される「運命の力」はこの改訂版がほとんど、となっています。

長くなりますので内容とストーリについては次回お送りいたします。

ありがとうございました。

髙梨英次郎でした。


参考文献(敬称略)

小畑恒夫「ヴェルディ 人と作品シリーズ」「ヴェルディのプリマ・ドンナたち」

ジュゼッペ・タロッツィ「評伝 ヴェルディ」小畑恒夫・訳

永竹由幸「ヴェルディのオペラ」

髙崎保男「ヴェルディ 全オペラ解説」

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