オペラ解説:ヴェルディ「アイーダ」解説① 作曲、初演、愛人(?)

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オペラ全曲ざっくり解説の文字起こしです。

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オペラ「アイーダ」解説①経緯、初演、愛人(?) - テノール歌手:髙梨英次郎のトークです | stand.fm
ヴェルディ作曲26作目のオペラ「アイーダ」の解説第1弾、作曲と初演の経緯などについてのお話です。 文字起こしブログはこちら↓ 参考文献(敬称略) 小畑恒夫「ヴェルディ 人と作品シリーズ」「ヴェルディのプリマ・ドンナたち」 ジュゼッペ・タロッ...

こんにちは!テノール歌手の髙梨英次郎です。

本日もオペラをざっくり解説して参ります。

オペラって面白いですよ!

今回は、ヴェルディ26作目のオペラ「アイーダ」を取り上げます。

ついにこの作品をご紹介する時がやって参りました。

恐らく「La Traviata 椿姫」(① https://tenore.onesize.jp/archives/107 ② https://tenore.onesize.jp/archives/108 ) と双璧を成す、ヴェルディ作品で最も有名な作品のひとつといえるでしょう。

全国のサッカーファンが必ず聴いたことのあるであろう凱旋行進曲。

しかしその凱旋シーンなどのスペクタクル要素はドラマの一部で、このオペラの本質的テーマは、”愛”です。

ヴェルディのこれまでの作品全てのエッセンスが詰まった集大成ともいえる「アイーダ」。

多くの皆様に触れていただきたい作品です。


まずはそれまでのヴェルディの人生、作曲と初演の経緯について。

前作「ドン・カルロス」(① https://tenore.onesize.jp/archives/121 ② https://tenore.onesize.jp/archives/137 ) を1867年にフランスで初演した後の夏、長年にわたりヴェルディを支援してきたアントーニオ・バレッツィがこの世を去りました。

ヴェルディの最初の妻マルゲリータの父親でもあったバレッツィは、ヴェルディが若い頃からその才能にほれ込み、金銭的援助を惜しまず、マルゲリータが若くして天に召された後も、ヴェルディとは温かな関係性を保っていました。

ヴェルディは彼の死を、実の父親のとき以上に悲しみました。

そして翌1868年には、ヴェルディの偉大な先輩であるロッシーニが76歳で亡くなりました。

ヴェルディとロッシーニは何度か会ったこともあり、自分とは全く気質の異なる人物であるとお互い感じながらも、その作品と業績をヴェルディは心から尊敬していました。

そこでヴェルディは、ある企画を思いつきます。

それは、ロッシーニを追悼するため、イタリアの作曲家を数名集めて、合同で「レクイエム」を作曲してロッシーニの没後1周年で演奏する、というものでした。

実際にその企画は進んでいき、ヴェルディも1曲書いたのですが、色々なゴタゴタが重なって、結局このレクイエム企画はお流れとなってしまいました。

数年後、ヴェルディがその時に書いた1曲をもとに、傑作レクイエム (https://tenore.onesize.jp/archives/124 ) が作曲されることになります。

そんな折、ヴェルディの元には意外なところから新作オペラの依頼が届きます。

依頼をしてきたのは、エジプトの首都カイロに新しくできた歌劇場でした。

Khedivial Operahouse

当初はあまり乗り気でなかったヴェルディでしたが、送られてきた物語の筋書きを読むと即座に興味が湧いてきて、この依頼を引き受けることにしました。

ちなみにエジプト側としては、ヴェルディに完全に断られた場合は、フランスの作曲家グノーに、グノーがだめならワーグナーに依頼しようとしていたそうです。

ワーグナー作曲の「アイーダ」どんな感じだったのでしょうね。

この筋書きをまとめたのは、フランスの有名なエジプト考古学者マリエットという人です。

それを、前作「ドン・カルロス」の台本を書いたデュ・ロークルがフランス語台本にまとめ上げ、それを今度はギズランツォーニという人がヴェルディと協力してイタリア語台本に完成させました。

このギズランツォーニは、24作目「運命の力」でヴェルディと仕事を始めた人物です。

ヴェルディはかつてピア―ヴェにしたのと同様に、ギズランツォーニにも繰り返しダメ出しをしてやり直しを要求して、なんとか台本が完成しました。

エジプトでの初演は、1870年7月に起きた普仏戦争の影響で延期された結果、1871年12月24日に首都カイロの王立歌劇場で行われました。

ヴェルディ58歳。

初演は大喝采、大成功となりました。

それから6週間後1872年2月にはミラノのスカラ座でイタリア初演も行われ、こちらも華々しい成功でした。

さてこのスカラ座公演でアイーダを歌ったソプラノ歌手テレーザ・ストルツ。

Teresa Stolz as Aida

ヴェルディの人生を語るうえで、彼女のことに触れないわけにはまいりません。

ストルツはもともと、ヴェルディの友人で指揮者のマリアーニという男性の婚約者でした。

彼女は「ドン・カルロ」イタリア初演でエリザベッタを歌って大評判となり、その後も「運命の力」改訂版スカラ座公演でもレオノーラを歌ったりして、ヴェルディお気に入りのソプラノとなっていきました。

そのお気に入り度合いは、芸術的音楽的関係だけにとどまらなかったのではないか、というのがおおよその見立てです。

いくつかの状況証拠が二人の関係を疑う根拠となっています。

2人の関係性を何らかの形で知ったであろう指揮者マリアーニは、ストルツとの婚約を解消。

「汚辱だ!復讐してやる!」との文章も残っており、その後ボローニャ歌劇場の監督となったマリアーニは、そのシーズンにヴェルディの作品を1つも入れることなく、ヴェルディの同い年のライバル、ワーグナーの作品をイタリアに広めていきます。

ヴェルディとマリアーニの友人関係は崩壊してしまいました。

ヴェルディの妻ジュゼッピーナも、知人への手紙で「私は絶望しています」といった言葉を残していて、夫の不倫を知りつつも何も言えない苦しい時期を過ごすことになりました。

とはいえ、ヴェルディが「アイーダ」を作曲する気になったのも、ストルツへの想い、情熱があったからこそだ、とする評論家の先生もいらして、真実は当人たちにしかわからないことですが、「アイーダ」が愛のドラマであることを思い起こすと、そういった面もあるのかもしれません。

ちなみにストルツはその後、ヴェルディの妻ジュゼッピーナとも良好な関係を築き、晩年のヴェルディに寄り添って支えていくこととなります。

内容とストーリーは長くなってしまいますので、また次回お送りいたします。

ありがとうございました。

髙梨英次郎でした。


参考文献(敬称略)

小畑恒夫「ヴェルディ 人と作品シリーズ」「ヴェルディのプリマ・ドンナたち」

ジュゼッペ・タロッツィ「評伝 ヴェルディ」小畑恒夫・訳

永竹由幸「ヴェルディのオペラ」

髙崎保男「ヴェルディ 全オペラ解説」

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