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こんにちは!テノール歌手の髙梨英次郎です。
本日はドイツ歌曲を解説して参ります。
ドイツ歌曲って、素敵ですよ!
今回取り上げるのは、ベートーヴェン作曲による歌曲「アデライーデ」です。
若きベートーヴェンが作曲したこの歌曲は生前から大評判となり、その楽譜もベストセラーとなり、ベートーヴェンの作曲家としての名を広く知らしめることに一役買った1曲となりました。
その音楽はとても瑞々しく、マティソンという詩人が書いた詩を素晴らしく表現したものとなっています。

1792年、21歳のベートーヴェンはキャリアを積むため、故郷のボンから音楽の都ウィーンにやってきました。
その頃のベートーヴェンは天才ピアニストとして、また作曲家として、ウィーン音楽界にその名を知られるようになっていました。
ウィーンでは作曲家の大先輩ヨゼフ・ハイドンや、モーツァルトのかつてのライバル、サリエリに弟子入りしたりしています。
そんなベートーヴェンが、詩人マティソンの作品にインスパイアされて、歌曲『アデライーデ』の作曲に取り掛かります。
作曲にかかった期間は、「1794年、1795年、そしておそらく1796年の間の長い時間」と言われています。
完成した歌曲はウィーンのアルタリア社から出版されました。
初版には日付が書かれていないのですが、1797年2月8日に雑誌上で「アデライーデ」の広告が掲載されました。
ですので、この日付が最初に「アデライーデ」が世の中に登場した時、となります。ベートーヴェン26歳のことです。
歌曲「アデライーデ」は評判となり、たちまち重版がかかるほど楽譜もヒットしました。
ベートーヴェンはこの作品を、その詩を書いたマティソンに献呈しました。
献呈とは、ある人に作品を捧げる、ということで、こうした詩人以外にも「この曲はあなたのことを思って書きました」とか、「パトロンとしてお金をくださった御礼に」といった形で王族や貴族、貴婦人などに捧げられることがあります。
『アデライーデ』の詩の内容は、ロマン派初期の代表的な作風です。
いわゆる高嶺の花、もしくは遠くにいて会えない憧れの人といったような美しい女性アデライーデへの憧れがほとばしっているようです。
詳しくは後ほど。
この詩はベートーヴェンにとってはグッと心を掴まれるものだったのではないでしょうか。
結果的にベートーヴェンは誰とも結婚することなく、生涯独身でした。
恋の対象とされている人は貴族の娘さんや未亡人などで、この当時作曲家という身分では、結婚の相手としては不相応とされてしまいます。
一説によればベートーヴェンは若い時から難聴を患っていて、人とのコミュニケーションを取ることが得意ではなかったという研究家の方もいて、思うように恋愛を進めることが出来なかった可能性があるということです。
そんなベートーヴェンが、この美しい女性アデライーデへの憧れが描かれたマティソンの詩を読んで大いにインスパイアされたことは容易に想像できると言えます。
後にベートーヴェンが詩人マティソンに書いた感謝の手紙には、ベートーヴェンがいかにこの詩から影響を受けたかが伺えます。
”マティソンさま あなたの詩は本当に素晴らしいです! もし、この素晴らしい詩に曲をつけた私の作品をそこまで悪くはないと思っていただけましたら、 またこういった素晴らしい詩を書いてください! 私があなたの素晴らしい詩にものすごくインスピレーションをいただいたことの証として、どうかこの献呈をお受け取りください。 もしこの「アデライーデ」を演奏してくださる時には、ときどき私のことを思い出してください。 あなたの心からの称賛者 ベートーヴェン”
まるでファンレターのようですね。
実際、詩人マティソンはベートーヴェンの音楽に大層感心して気に入ったようです。
後にマティソンはこう書いています。
「この詩を音楽で表現した作曲家は何人もいるが、ウィーンの天才ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンほど、そのメロディーでテキストを日陰に追いやった人はいないと、私は確信している」
つまり、詩そのものを飛び越えるぐらい素晴らしい音楽だ、とおっしゃっているわけです。
歌曲『アデライーデ』の演奏時間は約6分。
出版された楽譜には『声楽とピアノ伴奏によるカンタータ』と副題がつけられていて、要は小さな小唄ではない、大作として発表されたものです。
1番2番、と同じメロディが繰り返されるわけではなく、全ての詩のパートに異なった音楽がつけられています。
つまり、かなり気合を入れて作曲されたということがわかります。
ここから順を追って音楽と詩をご紹介していきます。
ピアノの穏やかな音楽から歌が始まります。
Einsam wandelt dein Freund im Frühlingsgarten, Mild vom lieblichen Zauberlicht umflossen, Das durch wankende Blüthenzweige zittert, Adelaide! 独りきりで君の友人が春の庭を散策している 愛らしい魔法の光に優しく包まれて、 その光は揺れ動く花のついた枝から降りそそぐ、 アデライーデ!
まさしく春の庭を散歩しているような心地よい雰囲気です。
詩は全て、アデライーデという女性に語り掛けているものです。
”君の友人”とは、アデライーデから見た君の友人、つまり詩を語っている自分自身(私)のことでしょう。
In der spiegelnden Flut, im Schnee der Alpen, In des sinkenden Tages Goldgewölke, Im Gefilde der Sterne strahlt dein Bildnis, Adelaide! 光が反射する大河に、アルプスの雪の中に、 沈みゆく夕陽が照らす金色の雲に、 星の世界の中に、あなたの姿が輝いている、 アデライーデ!
”dein Bildnis”、直訳するとあなたの肖像画、この言葉で歌が前半の山場となります。
自然の何を見ても、アデライーデの姿が思い起こされて仕方がないといった感じです。
Abendlüftchen im zarten Laube flüstern, Silberglöckchen des Mais im Grase säuseln, Wellen rauschen und Nachtigallen flöten, Adelaide! 夕方のそよ風は、若葉の中でささやく、 5月の(西洋)スズランが草むらでざわめく、 波はとどろき、ナイチンゲールは笛のように歌う、 アデライーデ!>
“Silberglöckchen”は、恐らくセイヨウスズランと呼ばれる花のことだろうと思われます。
画像検索をかけると、鈴の形をした花よりも、鮮やかな紫がかった色をした葉っぱが目立つ写真が多く出てきます。
後ほど”紫の葉に映し出される”と歌われることからも、この植物のことが歌われているのではないでしょうか。
先ほどはアデライーデの姿を視覚で追っていた詩人は、今度は聴覚、自然の音でアデライーデの存在を感じているようです。
音楽も、木々のざわめきと波の音、ナイチンゲールの歌う様を描き分けていて見事です。
Einst, o Wunder! entblüht auf meinem Grabe, Eine Blume der Asche meines Herzens. Deutlich schimmert auf jedem Purpurblättchen: Adelaide! いつの日か、おお奇跡よ! 私の墓の上に咲くのだ、 私の心(臓)が灰になったところから一輪の花が。 はっきりとその紫の葉ひとつひとつに映し出される; アデライーデ!
ここから音楽はテンポが速くなって急激に前のめりとなり、詩人の想いがつのって熱を帯びていきます。
”私の墓の上に花が咲く”という部分は、急にホラーのような雰囲気が出てきそうですがそういうことではなく、そのぐらい、何というか”死ぬほど好き!”という感情が現れているようです。
好きすぎて死んだとしても、そこから花が咲く、その花は恐らく先ほどのセイヨウスズラン。
ロマン派文学にも通ずるような、死をモチーフにしたファンタジー的表現がされています。
かといって音楽はおどろおどろしいものではなく、爽やかな熱意、やがては愛の恍惚へと至るかのように進んでいきます。
ひたすらこの部分の詩が繰り返され、音楽はやがて頂点に達します。
最後は離陸していた飛行機が着陸するかのように、静かに”アデライーデ…”とつぶやくように歌われ、曲が締めくくられます。

この「アデライーデ」は、ベートーヴェンの歌曲の中で最も人気のある曲の一つで、多くの名歌手たちが演奏し録音しています。
またフランツ・リストなど、さまざまな作曲家がこの曲をピアノ独奏用に編曲もしています。
ぜひ検索などしてまずは聴いてみてください。
ありがとうございました。
参考文献 (敬称略)
平野昭 作曲家◎人と作品シリーズ『ベートーヴェン』
青木やよひ「遥かなる恋人に ベートーヴェン・愛の軌跡」
江時 久 「本当は聞こえていたベートーヴェンの耳」
Cooper, Barry (2008) Beethoven. Oxford: Oxford University Press.
Kinderman, William (2009) Beethoven. Oxford: Oxford University Press.
Krehbiel, H. E. (1902) Historical and critical notes. Introductory material to Ludwig van Beethoven: Six Songs. New York: G. Schirmer.
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