歌曲解説:ベートーヴェン「遥かなる恋人に An die ferne Geliebte」②詩の対訳と音楽

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音声はこちら→https://stand.fm/episodes/6515410c1759baa0f7bd75c1

こんにちは!テノール歌手の髙梨英次郎です。
本日はドイツ歌曲を解説して参ります。
歌曲って、素敵ですよ!

今回取り上げるのは、ベートーヴェン作曲による歌曲「遥かなる恋人に An die ferne Geliebte 作品98」の続きです。

クラシック音楽史上、初めての連作歌曲と言われている作品です。

ここから、詩と音楽について詳しくご紹介して参ります。


ベートーヴェンが自らこの作品を、「Liederkreis 歌のリング」と呼び、つまり、1つのストーリーが直線のように進んでいくのではなく、円を描くようにループするものであると捉えています。
具体的には、1曲目のメロディと詩が、6曲目の後半に繰り返されることとなり、円を描いて帰って来たかのようになっています。

まずは簡単に6パートそれぞれの詩で語られる状況をおおまかにご紹介いたします。

    1.    丘の上に座り、二人が初めて出会った遠い場所を眺めながら、別離の辛さを感じていた詩人は、離れた相手に気持ちを伝えるため、歌を歌おうと決心します。


    2.    彼は、山や丘の風景を思い起こし、自分の心情と重ねます。愛する人のもとに行きたいけれど行けないもどかしい思いにとらわれます


    3.    想いが焦燥感を増してきて、彼は小川や雲、鳥たちや西の風といった自然現象に呼びかけます。彼女に伝えてほしい、僕の姿を彼女に見せてほしい等々。


    4.    やがて彼は恍惚としてきて、雲や鳥、風が彼女のもとにあることをうらやみ、僕もそこに混ぜてほしいと訴えかけます。そして、小川に彼女の姿をこちらに流してほしいと頼みます。


    5.    5月の爽やかな自然を描写していたところ、ふと自分だけが今いる場所から、鳥のように羽ばたけないことに気づき、自分と愛する人の間には春が輝いていない、と嘆きます。


    6.    愛する人へこの歌が届いてほしい、彼女にもこの歌を歌ってほしい、そして1.の詩が繰り返され、締めくくられていきます。


それでは順を追って詩と対訳を、音楽の説明と共にご紹介して参ります。

1.    

Auf dem Hügel sitz ich spähend
In das blaue Nebelland,
Nach den fernen Triften sehend,
Wo ich dich, Geliebte, fand.

丘の上に私は座って、眺めている、
青く霧がかったその地を。
遠くの草原を見ている、
その草原は私が、愛する君を見つけた場所。

語り掛けるように歌曲が始まります。最初はピアノの動きは少なく、ぼんやりと眺めている様が伺えます。

Weit bin ich von dir geschieden,
Trennend liegen Berg und Tal
Zwischen uns und unserm Frieden,
Unserm Glück und uns'rer Qual.

遠く私は、君から離れている、
横たわる山と谷とで、隔てられている、
私たちと、私たちの平和の間も
私たちの幸せと苦しみの間も(隔てられている)。

第1曲目の詩は5節、ほぼほぼ同じメロディで繰り返し歌われますが、ピアノはその都度音楽の形を変えていきます。
詩人は、愛する人と遠く離れていることが示されます。

Ach, den Blick kannst du nicht sehen,
Der zu dir so glühend eilt,
Und die Seufzer, sie verwehen
In dem Raume der uns teilt.

ああ、この眼差しを君は見ることはできない、
君を熱く激しく見つめる眼差しを、
そしてため息は消えていく、
私たちを仕切るこの空間に。

”glühend 熱く、焦がれる”という詩のメロディのみが変化し、詩人の気持ちが少しずつ高ぶってきていることが表されます。
それにつれピアノも少しずつ動きが増していきます。

Will denn nichts mehr zu dir dringen,
Nichts der Liebe Bote sein?
Singen will ich, Lieder singen,
Die dir klagen meine Pein!

君へと突き進んで届くものはないのだろうか、
愛の使者となるものは何もないのか?
歌おう、私は、歌を歌おう、
君に私の痛みを訴える歌を。

 ここで “singen 歌う”、という言葉が出てきて、”Lieder 歌”という単語も強調されて歌われます。

Denn vor Liedesklang entweichet
Jeder Raum und jede Zeit,
Und ein liebend Herz erreichet,
Was ein liebend Herz geweiht!

そして、歌の響きは、
全ての空間、全ての時間を越えてゆく、
そして愛する心は届くのだ、
愛する心が捧げた人に!

音楽は途中、後半2行の詩の部分から”少しずつ速く”という指示のもと、1つ目の音楽が急速に閉じられ、和音が次の音楽をいざなっていきます。
最後の2行は、ベートーヴェン自身が作ったもの、という説もあります。

2.  

Wo die Berge so blau
Aus dem nebligen Grau
Schauen herein,
Wo die Sonne verglüht,
Wo die Wolke umzieht,
Möchte ich sein!

山々がとても青く
霧がかって灰色になったところから
見下ろしているその場所に、
太陽が次第に消えゆくその場所に、
雲が覆いかかるその場所に、
そこに私はいたいのだ!

シンプルで穏やかな曲調と共に、そびえ立つ山や雲といった自然が描写されます。

Dort im ruhigen Tal
Schweigen Schmerzen und Qual,
Wo im Gestein
Still die Primel dort sinnt,
Weht so leise der Wind,
Möchte ich sein!

そこの静かな谷間では
痛みや苦しみが静まり、
岩の間に
静かにサクラソウが咲き、
風が優しく吹いている、
そこに私はいたいのだ!

先ほど上空や遠くを見つめていた詩人の目線は、ここでより近いところにある自然へと向きます。
歌は1つの音だけになり、ピアノが代わりにメロディを奏でます。
こういった作曲技法もこの歌曲集の面白いところです。

Hin zum sinnigen Wald
Drängt mich Liebesgewalt,
Innere Pein,
Ach,mich zög's nicht von hier,
könnt' ich, Traute,bei dir,
Ewiglich sein!

思索を巡らす森へと
私を駆り立てる、愛の力や
内なる痛みが。
ああ、私をここから連れ出すものなどない、
愛する人よ、私が君のそばにいられたら、
永遠に!

音楽は急速にテンポを上げて、詩人の焦燥感を表現するかのようです。 そしてその焦燥感を引きずるように、心臓が激しく鼓動するようなリズムと共に、第3曲へとなだれ込んでいきます。

3.  
Leichte Segler in den Höhen,
Und du Bächlein klein und schmal,
Könnt mein Liebchen ihr erspähen,
Grüßt sie mir viel tausendmal.

天空にいる軽やかな鳥よ、
小さく細い小川よ、
私の恋人を見つけ出せたなら、
幾千もの挨拶を彼女に送ってくれ。

弾むようなリズムで、詩人が自然に対して語り掛けます。

Seht ihr Wolken sie dann gehen
Sinnend in dem stillen Tal,
Laßt mein Bild vor ihr entstehen
In dem luft'gen Himmelssaal.

雲よ、彼女が歩くのを見たら、
静かな谷で物思いにふけっていたら、
私の姿を浮かび上がらせてくれ、
風通しの良い天の広場に。

ここまでは長調、明るい響きの音楽でしたが、次からは短調となり雰囲気が変わります。

Wird sie an den Büschen stehen,
Die nun herbstlich falb und kahl,
Klagt ihr, wie mir ist geschehen,
Klagt ihr, Vöglein,meine Qual!

彼女が、茂みでたたずんでいたら、
秋の黄色く荒涼とした茂みで、
彼女に伝えてくれ、私に起きていることを、
伝えてくれ鳥たちよ、私の苦しみを。

秋、の風景が歌われるとともに、音楽は短調となり、切々と訴えるような表現となります。
ピアノの音型も大幅に変わり、テンポも詩の内容と共に、揺れ動いていきます。

Stille Weste, bringt im Wehen
Hin zu meiner Herzenswahl
Meine Seufzer, die vergehen
Wie der Sonne letzter Strahl.

静かな西風よ、その風と共に、
私の心の選択を運んでおくれ、
消えてしまいそうな私のため息を、
まるで太陽の最後の光のような(ため息を)。

詩にある”西風”を表しているかのように、切迫感が増していきます。

Flüstr' ihr zu mein Liebesflehen,
Lass sie,Bächlein klein und schmal,
Treu in deinen Wogen sehen
Meine Tränen ohne Zahl

彼女にささやいてくれ、私の愛の訴えを、
小さく細い小川よ、
お前の波の中にある
私の涙を見せてやってくれ、数えきれないほどの涙を。 

“Ohne Zahl 涙が数えきれないほど” の歌が最後に引き伸ばされ、そのまま第4曲に突入していきます。

4. 
Diese Wolken in den Höhen,
Dieser Vöglein munt'rer Zug
Werden dich, o Huldin, sehen.
Nehmt mich mit im leichten Flug!

この空高くにある雲は、
この元気な鳥たちは、
君を、愛しい君を、見るだろう、
私を連れて行ってくれ、軽やかな飛翔に!

8分の6拍子で、弾むように歌われていきます。
詩人の気持ちが明るく、晴れやかになって来たようです。
ピアノが鳥の鳴き声を表している音も聴こえます。

Diese Weste werden spielen
Scherzend dir um Wang' und Brust,
In den seidnen Locken wühlen.
Teilt' ich mit euch diese Lust!

この西風は戯れる、
君をからかいながら、頬や胸の周りで、
シルクのような、巻き毛をかき乱すだろう、
分けてくれ、君たちのその喜びを!

ピアノは詩の通り、風が吹いているような表現となります。

Hin zu dir von jenen Hügeln
Emsig dieses Bächlein eilt.
Wird ihr Bild sich in dir spiegeln,
Fließ zurück dann unverweilt!

君がいる方へ向こうの丘から
せわしなく小川は流れる、
彼女の姿を映したのなら
こちらに流れて戻ってきてくれ、とどまることなく!

”unverweilt! とどまることなく!”という言葉が繰り返されて音楽が変化していき、5曲目へと流れ込みます。
まるで小川が流れていくかのようにスムーズな流れとなり、司会がぱっと開けたかのように快活な音楽が演奏されていきます。

5. 
Es kehret der Maien, es blühet die Au,
Die Lüfte, sie wehen so milde, so lau,
Geschwätzig die Bäche nun rinnen.
Die Schwalbe, die kehret zum wirtlichen Dach,
Sie baut sich so emsig ihr bräutlich Gemach.
Die Liebe soll wohnen da drinnen.

戻ってきた5月、花が野に咲き、
風は吹く、優しく、暖かく、
お喋りな小川は流れゆく、
燕は、心地よい屋根のもとに帰ってきて、
彼らの新婚の巣をせっせと作る、
愛がその中に住み着くのだ。

木々をかき分けて、5月の爽やかな空気の中に光が差し込んできたかのような、明るい音楽です。
テンポも6曲の中で最も速い指定がなされています。

Sie bringt sich geschäftig von Kreuz und von Quer,
Manch' weicheres Stück zu dem Brautbett hieher,
Manch' wärmendes Stück für die Kleinen.
Nun wohnen die Gatten beisammen so treu,
Was Winter geschieden verband nun der Mai,
Was liebet, das weiß er zu einen.

燕は忙しくあちこち飛び、運ぶ、
新婚のベッドのために柔らかなものを、
子どもたちのために暖かいあれこれを、
夫婦は一緒に住んでいる、互いに信じ合って、
冬が引き離していたものを、5月がつなぎ合わせる
愛が1つにすることを、春は知っているのだ。

燕が主役の一節となっています。
燕の家族の様子を見て、詩人は愛がそこにあることを感じ、穏やかな気持ちでいるようです。

Es kehret der Maien, es blühet die Au',
Die Lüfte, sie wehen so milde, so lau,
Nur ich kann nicht ziehen von hinnen.
Wenn Alles, was liebet,der Frühling vereint,
Nur unserer Liebe kein Frühling erscheint,
Und Tränen sind all ihr Gewinnen

戻ってきた5月、花が野に咲き、
風は吹く、優しく、暖かく、
私だけが動けない、この場所から、
愛し合う全てのものを、春は調和させる(1つにする)
なのに私たちの愛には、春は輝かない
そして涙だけが全ての収穫となる

詩人はふと自分が、燕のように飛び回ったりすることはできないと気づき、音楽がスローになっていきます。
最後の行を歌う時には、音楽は悲しみを帯びて、やがて諦め、諦念をもって、最後の音楽へとつながっていきます。

6. 
Nimm sie hin denn, diese Lieder,
Die ich dir, Geliebte,sang.
Singe sie dann Abends wieder
Zu der Laute süßem Klang

受け取って、どうか、この歌を、
私があなたに、愛するあなたに歌った歌を、
歌っておくれ、それから夕べに再び
リュートの甘い響きにのせて。

大変美しいピアノの前奏に続いて、それと同じ旋律が歌われていきます。
ピアノのシンプルな音楽は、詩にあるように、リュートやギターなどの弦楽器の音色を表現しているかのようです。

Wenn das Dämm'rungsrot dann ziehet
Nach dem stillen blauen See,
Und sein letzter Strahl verglühet
Hinter jener Bergeshöh' ;

夕陽の赤が引き入れられる時、
静かで青い湖に、
そしてその最後の陽光が消えゆく時、
あの山の高みへと。

そして夕陽が湖の水平線へと消えてゆく様子が描かれます。
山々に陽が沈んで、光が消え入りそうな、そんな時に次の詩へとつながっていきます。

Und du singst, was ich gesungen,
Was mir aus der vollen Brust
Ohne Kunstgepräng' erklungen,
Nur der Sehnsucht sich bewußt ;

そして君は歌う、私が歌った歌を、
胸いっぱいの気持ちがこもった歌を、
芸術的なきらめきは響かなくとも、
ただ憧れだけがつまったこの歌を。

前段のような美しい情景のもとで、愛する人にこの歌を歌ってほしいという詩人の願いが込められてい歌われます。
”芸術的きらめきはなくとも、ただ憧れだけがつまったこの歌”という詩は、まるでこの歌曲集全体がそうであるかのように、読者に感じさせるものです。
そして音楽は第1曲目と同じ旋律と和音を奏で、歌の輪が繋がってゆくこととなります。

Dann vor diesen Liedern weichet,
Was geschieden uns so weit,
Und ein liebend Herz erreichet,
Was ein liebend Herz geweiht.

そしてこれらの歌は消し去る、
私たちを遠く隔てているものを、
そして愛する心は届くのだ、
愛する心が捧げた人に!

この最後の段は、ベートーヴェン自身が書いた詩だとも言われています。
音楽もクライマックスを迎え、壮大な自然の中に歌と音楽が舞い上がっていくかのように、演奏が閉じられます。

歌とピアノによる、ベートーヴェンの一大芸術ともいえるこの作品、ぜひとも多くの皆様に触れていただけることを願っております。
ありがとうございました。
髙梨英次郎でした。

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