オペラ全曲ざっくり解説の文字起こしです。
聴きながら読むと分かりやすい! 音声はこちら↓

こんにちは!テノール歌手の髙梨英次郎です。
本日もオペラをざっくり解説して参ります。
オペラって面白いですよ!
今回は、ヴェルディ作曲「リゴレット Rigoletto」です。
ついにやってまいりました。
17作目にして、名作中の名作。
全てのアリアや二重唱が名曲で、1秒たりとも緊張感が途切れず、個人的にヴェルディのオペラの中で、1,2を争う完成度と言ってもいいのではないかと思います。
ヴェルディ本人も、しばらくは「リゴレットが最も優れている」と発言していたようですし、生涯を共にした伴侶ジュゼッピーナ・ストレッポーニも、最も好きなオペラとして、この「リゴレット」を挙げています。
範囲が広いオペラ解説書にも必ず載っている作品ですので、今更私が解説するまでもないのですが、オペラになじみのない方向けに、私なりに、カジュアルかつ詳細に、わかりやすくご紹介したいと思います。
そして今回、あまりの名作、名作中の名作なだけに、情報量がとても多いので、初演までの経緯と、あらすじの解説を分けてお送りしたいと思います。
もしかしたら今後の作品もこのように分けてお送りするかもしれません。
よろしくお願い致します。
作曲の経緯についてのお話ですが、まずは原作について。
このオペラの原作は、ヴィクトル・ユーゴ―の「王は楽しむ Le Roi s’amuse」という作品です。

Hugo
ユーゴーは、「レ・ミゼラブル」の作者として一般には有名で、また、ロマン主義のさきがけとなった戯曲「エルナニ」も歴史的作品で、こちらもヴェルディは「エルナーニ」( https://tenore.onesize.jp/archives/88 ) としてオペラ化しています。
この「王は楽しむ」は、16世紀に実在したフランス王フランソワ1世をモデルにして、その王に仕える道化トリブレットとその娘ブランシュに起きる悲劇を描いた作品です。
なのですが、その内容から初演は殴り合いにも発展する大騒動となり、思想的にも危険だと、当時の政府から目をつけられて、パリではわずか1回の上演で打ち切られてしまいました。
1850年の春にヴェルディは、ヴェネツィアのフェニーチェ劇場から新作の依頼を受けていました。
ヴェネツィアでの新作は、9作目の「アッティラ」( https://tenore.onesize.jp/archives/92 ) 以来です。
そこでの新作にヴェルディは、この「王は楽しむ」のオペラ化を考えました。
このドラマをヴェルディは相当気に入っており、
「この作品は最高のドラマです。道化トリブレットは、シェイクスピアの登場人物にも匹敵する!」
と手紙に書いています。
台本を担当するのはヴェルディに忠実なピア―ヴェ。

Piave
ところがこの仕事は、おそらくピア―ヴェにとって最も過酷な試練となってしまったのでした。
1848年フランスでの革命以来、各国、各自治体の政府は、政権批判をしているような文学や舞台作品が上演されないよう目を光らせており、厳しい検閲が行われていました。
ヴェネツィアでもそれは同じで、”ヴェルディが、パリで騒動を巻き起こした作品をオペラ化しようとしている”との報せに、政府当局はざわつきます。
ピア―ヴェは「スティッフェーリオ」の台本制作時に、ブッセートのヴェルディ邸に滞在して、朝から晩まで台本を書かされるという地獄の缶詰状態だったのですが、この時に「王は楽しむ」の筋書も同時進行で作られていました。
ヴェルディはユーゴ―のドラマを一切変更する気はなく、さすがにタイトルをそのまま「王は楽しむ」にすると検閲に引っかかると思ったので、「呪い」というタイトルでいこう!と考えていました。
ホラー映画みたいなタイトルですが、このドラマの主題はまさに”呪い”にある、ということで決められました。
ピア―ヴェとヴェネツィアの劇場とで、政府に探りを入れた時には、何とかいけるだろう、ぐらいの感触でしたので、「スティッフェーリオ」の初演後1850年11月後半に、ヴェルディは作曲を進めました。
ヴェネツィアでの初演時期は3か月後に迫っています。
ところが!とうとう恐れていた事態が起きてしまいます。
12月頭にヴェネツィア政府から正式に、上演の禁止が通達されてしまったのです。
「天下のヴェルディ先生が、こともあろうに”呪い”なんていうタイトルで、あのような反吐が出るほど愚劣で俗悪な話をオペラ化するなどもってのほか!!」
と、政府からの激しい文章がついていましたw
しかしヴェルディとしても、かなり作曲を進めているこの作品を引っ込める気など毛頭ありません。
ピア―ヴェは懸命に考えた末、タイトルを「ヴァンドーム公爵」というフワッとしたものに変えて、台本もマイルドに作り直し、12月半ばには早くも、劇場と政府の許可を得て、ヴェルディに届けられました。
ですが、ヴェルディは即却下!ヴェルディは言います。
「もし原作の人物の性格が少しでも変えられてしまうなら、私はこれ以上作曲はできません。私の音楽はそんなテキトーに当てはめて作っているわけではないのです!」
もうめちゃくちゃに怒ったヴェルディは、ピア―ヴェがそもそも初めからしっかり対策しておかなかったからだろう!と、払ってあった台本制作料を返還するよう求めてきたほどでした。
ヴェルディと政府との間で、板挟みのピア―ヴェ…w
ピア―ヴェや劇場のお偉いさんたちが政府当局をそれはもう懸命に説得して、
「じゃあもう、題名と人物の名前、それから時代とお国を変えれば、ドラマの内容は変更しなくていいよ」
という許可をなんとか得ることが出来ました。
ヴェルディも、しぶしぶ一連の設定変更に同意して、舞台をフランスからイタリアのマントヴァに移した、「リゴレット」はようやく完成したのでした。
初演は1851年3月11日、ヴェネツィア・フェニーチェ劇場、ヴェルディ37歳。

Verdi
これがもう、爆発的大ヒットとなりました。
これ以前に上演された作品では、「ナブッコ」( https://tenore.onesize.jp/archives/86 ) が唯一、初演から大ヒットして、現在も頻繁に上演される作品となっていましたが、この「リゴレット」も、そこに加わることになりました。
そして、テノールのマントヴァ公爵が歌う「女心の歌」。
この曲だけ検索してお聴きになれば、一発で「ああこの曲ね」とおわかりいただけると思います。
これはアリアというよりは、もはや軽音楽とも呼べるぐらいのカンツォーネ。
この歌が劇中で歌われるシチュエーションはそうとうドラマティックで、そのギャップに震えるというシーンなのですが、後ほど解説します。
この歌は単体で初演当時から大ヒットして、初演翌日にはヴェネツィアのゴンドラ乗りが歌い、町中でナンパに使われた、というのがさすがイタリアですねw
この歌がヒットするであろうことはヴェルディも予測していて、この曲のみ初演ギリギリになって歌手に楽譜を渡して、外部に漏れないようにしたほどでした。
台本作家ピア―ヴェも女性を口説くのにこの歌を使ったそうですが、あまりうまくいかなかった、というのが個人的に好きなエピソードですw
ところで、先ほども名前が挙がった、ヴェルディの生涯の伴侶となるジュゼッピーナ・ストレッポーニですが、この少し前からヴェルディの故郷ブッセートで同棲生活が開始されていました。
ブッセートはヴェルディの1人目の妻マルゲリータの故郷でもありました。(この頃すでに亡くなっています)
その父親バレッツィはヴェルディの若い頃のパトロンとして援助をしていた人でもあり、ブッセートの人々としては、亡くなった1人目の奥さんマルゲリータのことも頭にありましたので、そんなヴェルディが結婚もせず、過去に色々あったジュゼッピーナと同棲を始めたということで、噂があっという間に広まっていきました。
19世紀当時のイタリアは、今もそうかもしれませんが、キリスト教カトリックの信者がほとんどでしたので、結婚せずに同棲、というのは相当「まぁ、いやらしい!」とされてしまったのですね。
そんなわけで、気の毒なジュゼッピーナは、ブッセートの人々から徹底的に避けられてしまいます。挨拶をしても返してはもらえず、日曜日に教会へ出かけても、彼女の周りの席に座る人はいない…。

Image of Strepponi
「リゴレット」の音楽が異様にテンションが高く、主人公リゴレットが怒りをぶちまけるシーンなど尋常でない迫力なのは、ジュゼッピーナが受けたこうした仕打ちへの、ヴェルディ自身の怒りが反映された結果なのではないか、とおっしゃる評論家の先生もいらっしゃいます。
それでは次回、オペラの内容に移って参ります。
ありがとうございました。
髙梨英次郎でした。
参考文献(敬称略)
小畑恒夫「ヴェルディ 人と作品シリーズ」「ヴェルディのプリマ・ドンナたち」
ジュゼッペ・タロッツィ「評伝 ヴェルディ」小畑恒夫・訳
永竹由幸「ヴェルディのオペラ」
髙崎保男「ヴェルディ 全オペラ解説」
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